E田先生のことが好きな話。
明日は大事な撮影があるので岩盤浴に行って気合を入れてきた。
私の行きつけは新宿歌舞伎町の中にある
「osso」というところ。
岩盤浴の中でマンガも読めるし、ラインナップが個人的にツボだし。あと安いし。
利用者のマナー悪いなぁと思う時もありますが、総合的にまあ、好きです。
岩盤浴にマンガが持ち込めるところが他にもあったら教えてください。
ダイマでした。ossoの回し者ではありません。
岩盤浴の中で、最近ドラマ化もされて話題になった「東京タラレバ娘」の著者「東村アキコ」先生の自伝
「かくかくしかじか」
というマンガを読んだ。
そこに出てくる東村先生(作中では林)の厳しくもお人よしな恩師の先生が、どうしても私の人生で一番大好きな先生にかぶって、話の本筋とは全く関係なく懐かしさが溢れて涙が止まらなくなってしまった。
私の高校時代の簿記の先生。
おじいちゃん、ハゲてる。
目がどこまでも澄んでいる。
クオーターなので掘りが少し深い。
私が三年生の頃、ピアスを開けた。
制限されたことほどやりたくなるもので、吹奏楽部の先輩に「やっちゃいなよYou!」
くらいの軽いノリでピアッサーと可愛いピアスをプレゼントしてもらい(誕生日が近かった)
車の中でえいやっと開けた。
今でも思い出そうとすると、怖くてぎゅっと瞑った暗闇の中で先輩の
「せーの」
という声と、間髪入れずに聞こえた
「カシャッッ」という金属音が蘇る。
私の高校はとても風紀に厳しい高校で、定期的に頭髪検査があり、その中にピアス検査もあった。
ファンデーションでうまく隠して通っている子もいたので私はまあ平気でしょうくらいに思っていた、が。
頭髪検査当日、コンシーラーとファンデーションでいくら隠そうにもうまく隠せない。
もういいか、と半ば諦めて検査に引っかかった。
予想はしていたことは大概起きた。
まず、担任に呼び出されてしこたま絞られる。
イメージとしては刑事ドラマで事情聴取の部屋の中、いつまで経ってもカツ丼が出てこないバージョンである。
カツ丼は出ない、ムチに及ぶムチ。
ピアスを開けた経緯の説明を要求された時に、先輩を売るわけにもいかず、中学の頃仲が良かったガラの悪い高校に行った友達と開けたと嘘をついた。
その子の名前、学年、学科、まで書き出されて
「今からこの子の学校に電話して問い合わせるからな」と言われ、口裏を合わせないようにスマホを取り上げられた。
はーーーなんてひどいことになったんだ。
ここまでは予想ができなかった。
その子からしたら「???」だろうし、私はなんでとっさの嘘が下手なんだと自分を責めた。
その後も学年の各クラスの担任に囲まれて再度事情聴取をされ、授業に出させてもらえずに一人隔離されて反省文を書き、靴下は強制的に白い色を履かされ、
担任が私に向ける目はまるで私が親でも殺したような目であったことは記憶してある。
もうここまでされたら白状する他ないだろうと思い、私が自分で開けました、と事実を塗り替えた。
それからは各クラスの担任に1人づつ
「私は嘘をつきました」と謝りにいき、
ピアスを開けたのとは別に嘘をついたことに対しての反省文を書き、
別室で各学年の生徒指導の先生に囲まれて「生徒指導」を受け、
まるで覚せい剤をした芸能人みたい。だなんて
思っていた。
そんなこんなしている中、E田先生にも謝りに行った。
他の先生は全員「まあ嘘だと思ったけどね」と言ったのに彼だけは驚いた顔をして
「まさか。君は嘘とかつくような子じゃないと思っていたからびっくりだよ、本当かと思っていたよ」と言った。
親ですら私のことを信用していないのに、この人はなんてバカなんだろう、この顔は本当に信じていた顔だ、なんて綺麗なんだろうと思った。
言うまでもなく大声で泣いたし今もこのことを書くとじんわり涙がにじむ。
ここまでとても大変だったけれど、
本当に大変なのはそれからで
三年生がもう授業がなくなって休みの期間に私は学校に通って玄関のタイルを一枚一枚拭く作業を命じられた。
まだ3月の冷たい水をバケツ一杯に汲んでも、タイルは汚すぎて雑巾を少し中に入れただけですぐ濁る。
在校生の「あの人は何をやらかしたんだ」という興味の視線(被害妄想)
部活の自主練で来ていた同級生の男の子が手伝ってくれようとしたが上から監視していた担任に止められ好意が無駄になる。
終わりの見えない作業に泣きながらタイルを拭いていたら助けてくれたのはやっぱりE田先生だった。
途中で担任が止めさせに来てしまったが、
もうここまで来たら彼は聖人だろう。
その時に、今回だけじゃなく思えば幾度となく彼に助けられて来たことを思い出した。
私は訳ありで高校生から一人暮らしをしていたのだが、かなり体調を崩して家にまともに帰れるかわからない状態になった時、色んな食料を買って家まで送り届けてくれたのは彼だった。
簿記の試験が受からないと嘆く私に授業外でずっと教えてくれたのは彼だった、学年で一番教えるのが下手くそだったけど、彼の一生懸命で私は受かった。
ああ、もう書ききれない。
(書くのが面倒くさくなったのも一割)
私が卒業した後も心配して定期的に連絡をくれるのは彼だけで、今どうしているかは謎だけど未来、彼のお葬式は間違いなく参加するであろう。いや、参加させてもらわなければ困る。
東村先生の恩師とはまた違うが、「恩師」というカテゴリにおいて何年経っても思い出し、マンガや文で形に残したい人物という点で変わらないな、ともわもわと湿気が立ち込める岩盤浴の中で思って、汗とも涙ともつかないものがダラダラ流れていった。
不器用で、笑顔が可愛くてお茶目で、大好きなE田先生に会いに、群馬に帰りたい。
E田先生への一方的な公開ラブレターを書いてしまったことに、いつか赤面するだろうか。