こんな私のことは忘れてね。
あの
すごく掃除の苦手な私ですが。
人の家の掃除とかはできるから
「私やっぱ家事できるんじゃん!」と勘違いするけれど、自分の家になるとゴミ屋敷もいいとこなので期間限定で外面がいいタイプなのかな、と思います。
どんです。
こないだ初めてコインランドリーを利用したのですがすごいですね…なんか、人間交差点感がありました。
とまぁこんな話は置いておいて。
先日アベサダ:リローデッド というお芝居を見ました。
妻子持ちの浮気相手が亡くなり、その相手方(浮気相手)3人がラブホに集まりその人の通夜を行い、それがかの有名な阿部サダとリンクしてるようなしてないような、かんじのお芝居でした。
3人のうちの1人が言ったセリフがとても印象深くて
故人のことを話していて、ふたりは故人を意外に1晩くらいで忘れられた、という話の流れになり、ひとりは、まだそんなでもなくて
2人から「愛が深いんですねぇ」と言われた後に
「愛の量とかじゃなくて、その気持ちへの蹴りの付け方の違いなんじゃないでしょうか?」
「ご飯を食べる、とか誰かに慰めてもらう、とか、その気持ちを癒す術が人によって違って、私の場合はこうしてラブホでお通夜を開いてそれを飲みの席でみんなに話して笑い話にしてもらって、癒す、という方法なんですよ。だから愛の量が多いわけじゃない」
と言うのですよ。
確かに、と目からウロコが出ました。
そして当日パンフレットにも
「自分の気持ちは結局は自分でケリをつけるしかないのだ」ということを肯定したい。
と書いてあって更に頷きました。
ふと、中学の頃、父にハローキティの電卓を壊されたことを思い出しました。
その電卓は幼稚園の頃に祖母がサンリオショップで買ってくれたもので、特に大事にしたりしてはいなかったのですが。
祖母が老人ホームに入ってしまって 、その直後部屋の片付けをしていたら出てきたもので。
なんとなく祖母を近くに感じるものとして電卓を使う用事なんて特にはないけれど持ち歩いていました。
ある日とても父の機嫌が悪く、私が玄関の靴を揃えていないという理由で近くに置いてあった電卓を思い切り床に叩きつけました。
想像してみてください。
ピンクのプラスチックでできた、一昔前に流行ったスケルトンなデザイン。
厚さは1センチくらいで、ちいさくて、とてもチープなものです。
そんなものですから、叩きつけられたら簡単に壊れました。
そんなことも、父には言わなかったけれど、相当悲しくて、祖母が遠くに行ってしまったようなきがして。でもその壊れて文字盤が点滅している、もはや「ゴミ」になった電卓を、私は思い切って危険物のゴミ箱に投げ入れました。
自分の気持ちにケリをつけるのは自分。
その時に人生で初めて自分の気持ちに無理やりケリをつけた気がします。
それから何度か、無理矢理でも、なんとなくでも、自分の気持ちにケリをつけなければならない場面が人生で訪れたきがします。
好きな男の子から貰ったリラックマの小物入れを使い道がないからと捨てた時。
人生で初めてできた彼氏の誕生日に作ってあげようとしていたけれど誕生日前に別れてしまったので泣く泣く革のバングルを捨てた時。
引っ越した友達から貰った四つ葉のクローバーの栞を捨てた時。
定年してしまった大好きな保健室の先生から借りパクしたネコバスのぬいぐるみを捨てた時。
私はどうやらそれにまつわる何かを捨ててケリをつけることが多いようです。
まあ、あるあるというか。
一番見えやすくて簡単な方法だからでしょうね。あとはきっと時間しか解決しない…。(笑)
ならば、どの思い出をいつ捨ててもいいようにいろんな事にまつわるモノを溜め込んでおいたほうがケリをつけやすいのかな、なんて思います。
少し寂しいけど。
げふん
いーーーーーーー!
嫌な過去を思い出すと胃のあたりがキリキリするわ。
昨日、ギジレン新年会で知り合ったばんざいさん(すごく素敵な名前、麗しいお顔、明るい)が
来年30になるけど、楽しいことがたくさん待ってそうだねー!みたいなことを言っていて、あーーーこんな人になりたぁい!てか美しすぎィ!ってなりました。
なんかいつもしまんないけど、おしまーい!