最初で最後のその日まで ずっと幕は開く
♩フィクションの主題歌/堂島孝平
こんにちはこんばんは
胃が悪いです。
どんです。
この二日間くらい、普通に体調が優れなかった。お恥ずかしいけれど、稽古と本番でずっと張っていたなにかが緩んだのか、わからないけどきっとそれもあって、薬を飲んでねて、Netflixを見て寝て、起きて、寝て、水を飲んで寝て、プロテイン を飲んでまた胃痛がして寝て、を繰り返していた。
まあ大学始まるのでそんなこともあと1日くらいなのですが。
人とも言葉を交わさない、外にもコンビニ以外では出ない。
演劇がない私は、結構無機質だと思った。
ていうか、この生活スタイルに対して苦痛を感じない。
根が引きこもりだからか。
よく、「芝居がないと生きていけないんです」
「芝居がない人生なんて考えられない」
とかいう役者がいる。
でもそういう人ほどきっと演劇がなくなってしまったとしてもその人生をケロっと生きてるんだろうなと思ってしまう。ど偏見だけど。
だって人間は、いろんなことやものがなくなったとしても案外それを受け入れちゃうなぁと思うのだ。
例えば私なら、最近プロテイン が急に飲めなくなってしまった。今まで飲めたのに。
本当に困っている、といえばいるけど、サラダチキンや卵で補えている。
昔々、本当にだいすきだった恋人を失った時。
ショックのあまり円形脱毛症になりかけた、生理も止まった。かわりに血尿が止まらなかった。
でも今、のうのうと誰も愛さずに生きている。
道端でいちゃつくカップルに対して、別れたらどんな顔をするんだろうか、とか想像するくらいには恋愛が他人事で、誰かを愛した心の感覚がもうわからない。
ペーパードライバーになってしまった。
でも受け入れている。
そんなもんだ、というのが私の人生の経験の中でできてしまっている。
本当にしんどいとき、「今」がとても苦しいのだから未来なんて見る視野はなく、「そのうちいいことあるよ」なんて喉元を通り過ぎた人間からの言葉なんて響かない。
自分がどうにかしたいのは「そのうち」ではなく「今」なのだから。
自分が今とても苦しんでいる題材としては間違いなく「大学」なのだが、それも留年をしながらも卒業した先輩たちからしたら「そのうち卒業できるよ」なのだ。
ふーん、となると。
私はここ数年、演劇をしているときに何度もそれでしか味わえない気持ちや体験をしてきて、すごく楽しい「今」があって。
それがいつかなくなったとしても、のうのうと生きられてしまうのだろう。
なにかしらで生きてしまうのだろう。
ただ、やはり見えない。
今が楽しいからそうなった場合の未来を見る視野なんて持っていない。
となるとやはり、今の私を生かしているものは演劇で、次の予定を想像すると心が動く。
芝居をするために生まれてきた。なんて先天性はなくても私はお芝居が好きなんだろうな。
なくなったとしてもきっと生きちゃうけど、でも失くしたくないものなんだろうな。
どんより。