活丼

丼の活動

やまない雨はないなんて君は言う

ならもうちょっと私濡れていくわ

パステルレイン/三月のパンタシア

 

こんにちはこんばんは

天気の子がいないのか、本気で悩んでいる

どんです。

 

役者は、時にとても無力だと思う。

言葉をもらえなければ喋らないし、動けないし、自分の中でどれだけのものが余っていたとしてもそれを使うことを許されなかったり。

ある種、本当に人でないなと感じる。

その「役」を宿すための入れ物でしかない。

 

常日頃、いろんな役を宿すに足る器を形成しようと、必死に粘土をこねているが、気づいたらろくろはものすごい速度で回っていて追いつかない。そんなことがあるあるだ。

 

松岡さんが台本を書き直している。

本番まではあと数日だ。

役者は待つことしかできないのだ。

言葉を与えられるその瞬間まで、喋り始められる瞬間まで、自身の中のあらゆるものを備えて。

 

まっつんさんが脚本大幅に書き直すと言い始めた時のぼやき

 

ここで一旦記事は止まっていた、書き直した台本を覚えることに専念し始めたのだと思う。

 

9日の午後すぎ、今週末に本番の延期がきまった。

3週間繋いできたバトンを、一旦立ち止まってゴールするまでの少し長いインターバルができた。

 

2週間と数日走り続けてきたメンバーさんは並々ならぬ思いと、悔しさと、とにかくやりきらない想いが客演の私よりもきっと強かったと思う。

Twitterを検索したら悲惨な状況になるというマイノリティのなかにチラチラとデマか本当かはわからない希望的観測が見えて、それに揺れている姿を見るのがすこし辛かった。

 

「英断」

本当にそうだと思う。

きっと、いろんな想いを飲み込まないで公演を無理やり決行する判断をした方が楽だった。

自分たちのタスク的に、恐らく金銭的に、

一旦出したものを延期するという選択の方がいろんな意味で何倍もしんどい決断だ。

 

レバプロがこのプロジェクトに賭けていた想いは前々から聞いていた、脚本のまっつんさんはこれで芝居をやめるくらいの覚悟だということも話してくれた、それだけ、完遂させて団体の一つの財産として残したかったものなのだと思う。一度止まるということは怖かったろう、と、客演の私は想像しかできないけれども。

 

 

延期がきまってからの各々はTwitterをしたり、両親に電話をしたり、すこしふざけてみたり、今日の夜食べるものを話したり、公表されたことへの反応をすることで一生懸命で、常に何かしらの話題が尽きない稽古場は珍しくシンとした空気が支配していた。

賑やかなレバプロしか知らない私は、こちらに遠慮して多少隠しているであろう悔しさを汲みきれないことへの情けなさと、本当に世間に向かって延期を公表してしまったことへの虚無感でぼんやりしていた。

 

いつもの稽古終わりと同じようにみんなで酒と食料を買い出しに行った、いつも通りに話した、いつも通りにポケカをした、でも明日から、どうしたらいいんだろうかと、作品から逃れきれていない意識がぐるぐると回った。

知り合いの芝居を見に行こうか、ジョーカー面白そうだなとか、何時まで寝てたっていいんだよなとか。

 

明日決めたらいいか。

 

みんなで深夜の散歩をした。だいぶ夜は冷え込むようになってきていて、帰る頃には耳たぶがカチカチに冷えた。

集団行動が本当にきらいな私だけど、レバプロはなぜかいつもいつまでも苦じゃなくて、無理に会話に入らなくてもぼーっと聞いてたらいいし、話したくなったら話してそれを聞いてくれる人たちがいて、いくらでも自分のままでいていい場所だからこんなに関係が続いたんだろうなと思った。

 

もし週末、カラッと晴れてしまったらどうしよう

晴れてしまったら。なんて、晴れを願わない日が来るなんて思わなかった。

晴れに越したことなんてないけれど、これだけ全員で苦しい思いをした決断が、台風の気まぐれで気持ちの整合性がとれない結果になんてなってほしくないというか、かんというか、うんとかすんとか…。

まあ今は、そんなことよりおうちが心配なんですけどね。

自然ってほんと、怒りの向けどころがない。

ここまでわーーーと思うまま描いてしまったけど、台風への憤りが消えることはない。

 

みんな、なんかたくさん食べ物とか買って、一気見するアニメとかリストアップしちゃって、静かにインターネットで過ごしましょう。

また劇場で会える日を楽しみにしてます。

 

どんより