好きだって愛しいなって思ってくれたかな?
♩二時頃/aiko
こんにちはこんばんは
そろそろマジで本腰入れてジム行く習慣を作り直さないと現状維持で終わる
どんです。
昨日はいい推しの日だったそうですね。
推し、おしってなんだろうと思う時がたくさんあります。
「好き」の種類の中の一つ
自分がガチガチにアイドルまたはメイドのヲタクだったので、自分が推される側にいる瞬間がたまに、すべて夢の中の出来事なんじゃないかとおもう時があります。
この二年半で新しく「推し」としてみなしてくれた人、推してくれていたけどいつの間にかいなくなっていた人、たくさんの方の顔が脳裏に浮かびます。
最近、残りたい、だなんて本当におこがましいと感じていて
知り合いから年間に国内で公開される映画の本数を聞いた時からだろうか、3000本?とか?もう忘れちゃいましたが、映画よりも短期間で、刹那的な舞台においてはそれの倍、さらに倍くらいの作品が生み出されては消えていくのだろうなと。
途方もない。
知らない人たちばかりのオーディション、絶望する。世間は狭いけど世界の広さには毎度びっくりする。
必死にやれど、広がりがないのかもしれないと感じる時がある。
どうしたって飛び抜けることなどないのかもしれないと思う時がある。
残りたい。残りたいけどこれだけ大量消費の時代に、さっきまで見ていた芝居に前に見たことある人がいたとしても気づかないようなくらいなことだってある世界で
「残る」は本当に天文学的数字なんじゃないかと信じてしまう
されどだからと止まったら本格的に忘れられるのも一瞬だろうと思う。平凡な人間だ、3ヶ月も経てば私のことを忘れる人がほとんどだろうと思う。私だって生きていく中で常にたくさん人を忘れる。
でも、その中で「推し」だけはずっと残っているのだ。
風俗がバレて飛んだあの子も、コンカフェ処女詐欺のあの子も、もうあえなくなっちゃってもずっと推していた子らは私の中に残ってる。
だから私は推し=人生から消えてものこる
存在という認識だ。
重たいなぁ我ながら。
仕方ないだろう根がガチ恋ヲタクなんだから。
今だって過去のガチ恋エピソードで泣けるぞ。
肴は炙ったイカでいい。
…もう何が言いたいかわかんなくなって来ちゃったわ。
たぶん今だけガチャガチャ書いてても、思ってることとか言いたい事はひとつで
いつもありがとう
とか
これからもよろしくね
とか
特別にしてくれて嬉しいよ
とか
に集約されるのだと思う。
いつもグダグダ言うのだけは得意だな!と思う方がいるかもしれないな。
グダグダ言いたいのだ。素面です。
私がある日突然人間の形じゃなくなってもう二度とあえなくなったら
少しだけ悲しい気分になる気持ちの人を増やしたいなと思います。
私がある日突然めちゃくちゃバズって(雑)直接言葉を交わす距離であえなくなったとしたら
めちゃくちゃに嬉しく、少しだけ悲しい気持ちになる気持ちの人を増やしたいなと思います。
ファンは鏡、という言葉を信じてるので
私は自分の鏡を曇りなく磨きあげることに専念いたします。
きゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっきゅっ
うぃす。
「いい推し」然とするね。
どんより。