活丼

丼の活動

変わっていけるのは自分自身だけそれだけさ

強くなれる理由を知った

♩紅蓮華/LiSA

 

暇.......っていうか、あんまりTwitterを見ていると余計な事ばかり考え始めるなと思いました。

 


ぼーとツイ活してたら

「もう廃業しちゃうかも…俺が必要だと感じている人RTして!」

的なツイートを見つけて、えっ、て気持ちになりました。

 

 

 

他人から自分に対して見出されている価値

これは自分の中でどうこうできるものではなく、例えばそれをどうこうしようとして必死に頑張ったところで自分の期待値と同じくらい評価されることってとても難しいし、その逆も然り、なので基本的にはコントロール不可だと思っています。

 

 

 

自分の中での自分の価値

いわゆるTwitterでもよく話題に上がる「自己肯定感」と非常に近い場所にいるものだと思ってます。誇りとも似ている気がする。

これは自分の中だけでのことだから低くも高くも自由自在…とまですべて自由にはいかなくても、ほんの一部、何があっても誰にも侵されることのできない魂の領域だと思ってます。

 

 

 

この二つは私の中であんまり関係なくて

どれだけ評価されても自分の中の自分の価値はそんなに高まらなかったり、逆に、筋トレしてつらーい1回をできた時、誰からも評価されてないけど私サイコーなところあるじゃんて価値が高まるし

ま、とにかく関係ないんす。

 


でも、その方の価値は多分二つが直結していて、誰かからもとめられているのが数値化されないと自分の中の価値がなくなって、好きな職業を続けていくという意思は保たれないのかなぁと。

 


とんでもない承認欲求に思わずワオと言いたくなる。

しかもリツイートなんてチープなもので保たれる価値なんて、お手軽でいいな、そんなくらいの価値(現職への執着)ならもう廃業した方が良いのではないか。

本当にそれにしがみつきたいのなら、バイトしながら掛け持ってでも続けるものじゃないのか、現に食えていない俳優たちでそうやってしがみついている人たちはたくさんいるし、私だってそのひとりで。

 

 

 

人に自分の価値を依存させれば、何もかもの選択責任を他人に擦り付けられるし楽でいいな、と思うと、思うと.......心の中で富岡さんが

生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と合唱しまくって、「少なくとも私は、俳優続けるかやめるかの選択はリツイートなんかで決めませーーーん!」と住んでいる街中に響き渡るくらいの大声ダイヤモンドします。

(その方は俳優じゃないです)

 

 


なーーんて、時間にしたら10分くらい、その人のことで思考を取られて、悪口じみたこと考え始めてしまうからTwitterは用法用量を守らなきゃな、なんて思いながらNHKをみます。

教育番組はいい、他人のどうでも良いことなど全部見えないのだから。


どんより