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こんにちはこんばんは

最近メンのタルがふらついてるんですけど全部気圧のせいとかにしたいです

どんです。

 

 

新種の生き物を見つけたら名前をつけるように

多分人はなんだって名前を付けて定義することが好きなんだろうなと思う。

 

それは生き物だけじゃなくて、病気の症状にも、現象にも、気持ちにも、関係性にも。

 

特に最近は「ソフレ」とか「セフレ」とか

〇〇に限定した異性の友人関係に関する関係性の定義が複雑化しているなと感じていて

(関って漢字、たくさんで気持ち悪くなってきた)

名前をちゃんと付けていないと不安なんだろうなという意図が透けて見える。

それに、一言で説明ついた方がなんだかんだ楽なのだ、きっと。

そして、自分にも言い聞かせたい。耳馴染みのない造語で自分に「〇フレだから」と。

 

私もすこしだけ、名前をつけられない関係に不安を覚えたりしたことはある。

白!黒!みたいな性格故に彼氏!彼女!みたいな、告白!付き合う!みたいな……

そういう、一個一個、名前をつけた行動、関係性でないと自分の中の整合性がめちゃくちゃになったりしていた。過去。

 

「付き合う前の曖昧な感じが一番楽しいんじゃん」と、友人は言った。

めちゃくちゃにわかる、わかる、が…

一刻も早く私と付き合いたいと言って欲しい、正式にお付き合いしているという公言がほしい。という気持ちの方が明らかに比重が重たく感じて、そのもどかしさすらなんだか不愉快になって、からかわれているのではないかという気分になって楽しめたことがない。

まあ、根が卑屈だとこうなります。

 

ただ今は

関係性に言葉がついたとて、法で縛られない限りは、いや時には法で縛られていても、その言葉に絶対的な効力はないし、呪いのようになって、窮屈に感じて逆に逃れたくなってしまうこともたくさんあるという事象をたくさん目の当たりにしてなんかもうどうでもいいというか、

 

 

関係性を欲する機会が最早ないというか(絶望)

 

 

「好きだ」と言われたところで

それが本当に心底「好きだ」と思って発された言葉かどうかなんて、わからないのだ。

じゃあそれがなんで通じるのかって、それを信じるに足る信頼と、関係性と、いろんなものがあって成り立っている

「好きだ」なんだなぁ。

みんな、世の中のカップル幸せそうでいいなぁ

そんな簡単に相手の言葉を信じて、信じあって、ぴったりとくっついていていいなあ。

 

孤独死コースまっしぐらの私は今日もこうしてネットの隅でぶつくさ文句を垂れてあるのであった。

「愛がなんだ」を見て思ったことを書きました。

あと磯野貴理

以上

 

どんより。