活丼

丼の活動

生きるって難しいな

それでも同じくらい素晴らしいな

♩人生イージー?/dialogue+

 

拝啓みくにん様

 

1年ぶりのブログ更新のお時間がやってまいりました。

お誕生日おめでとうございます🎉

28歳になりましたね、私たちが知り合ってから8年が経過しようとしてるという事実。

そして1年に1度のこの交換日記(手紙)ブログが今も尚このように更新されているということ、お互いに連絡を取り合える環境にあるということ。

全部が当たり前じゃなく思えてきました。

 

というのも、去年母がガンを患い、手術も結果的に失敗に終わり、今は転移しているみたいな現状で、人とのかかわり合いにおいて当たり前なことなど、永遠などなにひとつないのに、来年も再来年も今関わってる人たちが変わりなくそこに居るような気がしていた慢心にいまさら気がついたからからです。

 

これから先もずっとみくにんが当たり前に友達として存在しているような気がして、毎年ブログを書いてくれるような気がしていた(そうあって欲しいけど)

 

でも演劇から離れてだいぶ経つ私は、私たちを結ぶ糸がひとつは途切れてしまったように感じていました。

実際、演劇から離れてみて、あの人何してるんだろうもわからないし、興味もなくなってしまった人達がたくさんいます。もう名前も思い出せないような。

 

 

そんな感じで自分の頭の中のリソースが割かれる先も日々変わっていくのに、みくにんが変わらずに居てくれる確証なんてなにもないなって思いました。

毎日のように「今、この瞬間を生きて」とリズム天国のお客さん達に向かって言葉を発しています。当たり前なのに忘れちゃうことだから何度でも言うんだけど、言ってるのに忘れちゃいそうになる自分もいるので、今年は特に、こんな感じでしつこめに書いておきます。

 

当たり前じゃなく、みくにんがみくにんとして生きていて、長い間お友達でいてくれてありがとう。関わってくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。

 

1年前と今じゃわたくしもだいぶ状況も環境も変わっていて、今の自分が1番好きで、みくにんを堂々とおうちに招ける私になったので(ちなみに3キロほどリバウンドしてるよ!なんで!?)

 

今度さ、よかったら私のおうちでまたぶり大根作ってよ、そしたら私は最近ハマってる野菜焼き作ってあげるし、冷凍してたピザもたくさん解答して、近くにセブンあるからアイスも買って、おうちパーティーしようよ、今度こそ。

そんで沢山変なフィルターで自撮りして、オーバークックやろう、みくにんとやったら楽しそう。

 

みくにんにとって28歳が、何かいろいろあっても、あとから思い出した時に素敵だったなって思える28歳になりますように。

 

それではまたね。

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「オギャー」って産まれた時から

ずっと世界は君のもの!

♩ゴッドソング/バンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHI

 

こんにちはこんばんは

拝啓、井本みくに様

 


お元気ですか、何年目になりますでしょうかこの一年に一度の交換日記は。

でも何年目になっても、わたしの21?くらい?の誕生日に急に上がったブログの嬉しさを鮮明に思い出せます。

この人はわたしが思っているよりもわたしのことをお友達だと思ってくれている人なんだなと、自分が生まれた日にそんなことに気づけるなんて幸せな人生だなと思ったのを覚えています。言いたいことを支離滅裂に、わーっと書いていきます。

 


さてわたしは最近、随分と演劇から遠い場所にきています、「どんちゃん」と呼ばれることもなくなりました。

なぜか名前がローマ字になってます。毎日毎日覚えることしかないです。将来の夢を書いてくる宿題をやっていかずに、学生みたいなことで怒られてます。

そんな感じで、めちゃくちゃ楽しいけどそれなりに大変すぎてTwitterもしなくなって。

だから今みんながどんな演劇をしているのかも知らないし、追わなくなりました。それでも、みくにんのTwitterを週に一度は見に行く習慣だけは続いています、習慣ってすごいね。

鏡越しのおどけた顔をした自撮りかわええやん、気づいたら本番を一個終えているじゃん、相変わらずかわいいこまちゃん、最高。

LINEなんて全然しないのに、勝手にみくにんのTwitterに話しかける日々です。

さしずめテレビに話しかけるおばあちゃんです。

LINEしたらいいのにね。

 


今は全てのスケジュールの権限がなくて、自由に休める立場にないので♯Q行きたい!というのも、言いたいんだけど。

自分が演劇をしていた頃、過去に散々憎んでいた「いけない!でも頑張って!」とかいう人に自分がなってしまいそうで、怖いので言えません。でも今なら、その人たちの気持ちもなんとなく分かりそうな気がします。本当に♯Qが好きです。行きたい、言えない、ジレンマ。

 


3月からは本当に毎日変わらないことなんてないくらいにいろんなことが変わって、あーもーやだなぁと思う時もまあまああるんですけど、そういう時に不意に、「ヘイSiri、近場の喫茶店を教えて」とみくにんがいい、「へいSiri、お茶!!!!!」とわたしが言ったとか、なんでもない昔の一瞬を思い出したりする。

去年の誕生日にくれたわたしのあだ名の理由を創作してくれた画像を見る。

一年前くらいにくれた、塗ったら唇が腫れあがる仕様のティントも、お守りみたいに持っていて、寝ちゃいけない場面なのに寝そうになった時に塗りたくってる。

そうやって、みくにんと関わってない時間でも生活の節々に井本みくにが現れて、わたしを救ったり救わなかったりして、友達ってこういうことなんだなぁってなってる。

こういうこともLINEしたらいいのにね。

 


だいぶまえからだけど、いつのまにかヘッダーがどんみくのイラストじゃなくなってて、ちぇーー、なんて思ってました。

でも、去年書いてくれたブログを読み返そうとnoteのトップに飛んだら、以前Twitterのヘッダーになっていたものがヘッダーになってて、なんだよ、そういうさあ、そういうところが大好きなんだよなあ。

 


2022年はたくさんみくにんと過ごしてきましたね、秀美さんの大切な日に立ち会って、隣にいるのがあなたで嬉しかったし、パーティーでお揃いのワンピースで参加したのも幸せだった。

自団体の公演にも呼んでもらえて、一緒にメイド屋さんごっこしたり、みんなでお泊まりしたり、そんなことしてたら呼び名が「どんさん」になってて、自分が知り合った頃よりもアホになってることに気付いたり、もう盛りだくさん

ハタチそこそこで出会ったのに、もうあなたが27歳になって、わたしもそうなことが不思議でたまりません。

なんで?

こんなに長くともだちでいて、でも普段はほぼ連絡は取らなくて、でも好きで、本当に辛い時には電話してもらったりして、なんで?

人間関係が基本的に不得意すぎて、こんなことが毎年更新されてることになんで?

でも、自分のちっぽけな人生にこんな人がいることがすっごく誇らしい。

大好きだよ。

演劇しなくなっても、アメーバになったとしてもこれからも仲良くしてね。

どんみくはどんみく。そういう概念。

どんちゃんって呼ばれない日々すぎて寂しいから、近々会ってたくさん名前呼んでください。

ではまた来年。

 

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どんより。

きみをわかっているなんて言わないが

わたしだけしか知らないきみだっているのだよ

♩往復書簡/常磐ゆう

 

井本みくにさん

お誕生日おめでとうございます

 


さて、我々の年に一度の恒例行事もいよいよ5年目に突入。ウソでしょ?

5年なんて経っているわけがない、私たちは大学生で、あなたは天下の早稲田、私はゴミなめくじ大学、Siriに話しかけるときにも知性の差で「へいSiri、近くの喫茶店を探して」「お茶!!!!!!!!」これくらいの差が出る私たち、だったはずでしょう。

 


5年なんて経っているはずがない、ウソだ。いや認めましょう、それだけの歳月が経ったこと。

そして、思っているのではないでしょうか

「書くことがなくなってきた」

と。

実は。

 


だったとして(正当化)当たり前です、だって思い出の更新がコロナ前と後じゃ段違い。

ここ2年でみくにんとの思い出というとみくにんのお家に遊びに行ったことがメインで、どこかに2人で遊びに行ったり、みんなで気軽にワッと集まってご飯食べたり、そんな日々がよくわかんない病原菌のせいで失われてしまったんですもの。

 


ただ、書くことがなくなっても、みくにんと今日(昨日?)会っている時に思ったことがあるんです。

書くことなくなってるわけですから、その時は「あっ!待って!ブログに書く!」と嵩増し発言をしてしまいましたね。(ごっごめん)

 


変なウイルスとか、単純な環境の変化とか、人間関係は常に流動的で、こないだなんてみくにんに「◯◯さん」とだいぶ前に関わった方の名前を出されてその方の存在も忘れてしまっていたほど5年は実は長い時間で………いやそれは私の記憶力がやばなだけなんですけど…

その中でもあなたから向けられる好きだけが、何も変わらないままそこにあって、私もきっと同じようにあなたへの好きは変わらなくて

共通の知り合いとおしゃべりしてる時は必ずみくにんの話しちゃうし、それで好きだわぁとか、私の方が仲がいいとか心の中でマウント取っちゃったりして、そのくらい、お互いに変わらないものってあったんだって、みくにんの肩に頭を預けている時に思ったの。

 

 


だから私は顔色を伺うことなく安心してあなたに抱きついたり、いろんなことをおしゃべりしたりできるし、これからもお家に行った時には変わらずにそうしていたいな、いれるな、と思うのです。

 

 

 

あと、みくにんはいつもお返事で自分をやたら退廃的なポジションに置きたがるけどあなただって子犬と戯れている姿似合うと思うし、頑張る女の子が似合う人だと思うけどな!??!

もう、2人で犬と戯れようよ、なんか、なんか2人でなんかしようよ(これを5年ずっと言い続けている気もする)

 

知り合いがやってるフォトスタジオ

よかったらお友達と遊びに来てねと言われた時真っ先に頭に浮かんだのはみくにんだったよ。

友達にも色々いるけど、あなたはそういう存在であること、だいちゅきはっぴーまるであること、忘れてないと思うけど、年1のこの交換日記を読んで、改めて忘れないでください。

忘れないでください。

 


私はみくにんとおばあになっても同じスタンプで自撮りして、その後にキモい顔になるスタンプで自撮りして笑う予定が入っているので、そのように動いてください(強制)

 


とりあえず、みくにんと次会う時久しぶりのお出かけなのでとても楽しみにしてるから!

26歳、絶対嬉しいことばかりおきるよ。

それじゃあおやすみね。

 


どんより

共有できない悩みが増えていく

小学校後悔してから成長したと思ってたのに

 

♩完璧なし/ハシリコミーズ

 

こんにちはこんばんは

よく食べ物を落としてダメにしちゃう逆SDGsニストになっています。

どんです。

 


今日はひさびさに観劇の予定があった、二本観る予定だったので一本目が観終わったあと、二本目の会場の近くに向かい、開場時間までの時間潰しにスタバに入った。

三連休の真ん中、当然ソファのいい席は全て埋まっており、多少粗末な丸椅子の席に荷物を置いた。

 


「アイスコーヒー牛乳、パウダー多めでお作りしております!」

注文したものを受け取りに行くと、やけに張り切った様子でキラキラした青年が新作のドリンクを手渡してくれた。

弱ペダの真波くんが「俺!生きてる!」と言っている時のような、主人公顔をした青年。

髪をばっちりセットして、眉毛は綺麗に整えられて、目鼻立ちのはっきりした青年。

 

 

 

 


いついってもスタバの店員は誰しもキラキラしていて、人生に何の悩みもなさそうな人間しかいないとは思っているけれど、その中でも彼は格別に特別な顔をしていた。

ふと名札に名前を見やると

「ゆうき」と少し掠れ気味に書いてある名前の下に「今日卒業です!」と小さな文字で主張していた。

そっか、このキラキラは卒業するんですからくるものだったのか。

 


一瞬だけ世界が止まって「どーでもいいですよ」と、平坦なリズムで脳内のだいたひかるがつぶやいた。

私なら、「いや私が卒業するとか誕生日とか、極論死ぬんだとしても世間の人には関係ないことだし」と思ってしまって、バイトを辞める程度のことを不特定多数の人間にひけらかすようにはできないだろう。

現に私はだいたひかるが出てきてしまっているわけだし。

でも、本当は「おめでとうございます」とか一声かけるような人間になりたかった気がする。そしてゆうきは、そんな冷たいことを思う人間がいることはいないと思っていそうな顔をしている。

 


自分!!!!!!!今日で!!!!!!この下北のスタバを!!!!!!やめるんです!!!!!!だから!!!!!!!!一杯一杯!!!!!!!!いつも以上に!!!!!!!気持ち込めてます!!!!!!!!!!感いっぱいにキラキラと手渡されたドリンクに余計な念が込められていそうな気がして、何の変哲もない一杯を飲みたかった気持ちが濁された気になって目が死んだ。

 

 

 

私が腰掛けた席の隣のソファ席に、本来3人掛けの席に密集して6人で座っている男女がいた、その人たちもなぜかキラキラ。(この際密なことなんてどうでもよい)

イヤホンの調子が悪く、一瞬電源を切るために外したら「あいつ〜〜だよなー」「◯◯くんの作ってくれた〜〜が」と談笑の内容が聞こえてきて、この人たちが彼の友達であることがすぐにわかった。

 


しばらくすると「ゆうき」が「待たせちゃって悪いね」とばかりにキラキラやってきて、キラキラと数回言葉を交わして、キラキラ去っていった。

この人は……きっと、ちびまる子ちゃんでいうところの大野くんであろう。

さらに少し時間が経つとまたしても数人「やあ、お前らもきていたんだ」とキラキラ入ってきて、奥の席へと消えていった。

この6人だけじゃなくて更に追加の送別メンバーもいるなんて、ゆうき、なんて陽キャなんだ。

そら主人公顔にもなるわな。な。

ゆうきの友達と思われる人たちはみんな、カップを見つめてニコニコしながら楽しげに話していた。多分ゆうきが特別なメッセージでも書いたのだろう。

ふと、気にもしていなかったがわたしのカップはなにか書いてあるのかと不意に思って見てみた。

 

 

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ひとことも、なにもかいてなかった。

ゆうき、そうだよな。ゆうき。

そういう対人リソースは友人にのみ割きなさい。私だって、もし「ハバナイスデイ!」的なことが書いてあったら陽キャの気迫に飲み込まれて全身蕁麻疹ができてしまっていたところだろうからね。

 

 

 

中高はサッカー部で、シーブリーズの蓋を彼女と交換するタイプの人間だったろうな。

Twitterのプロフィール欄に大学名と自分の生まれた西暦の下二桁書いてそうだな。

東京が地元で、放課後は原宿などに繰り出していそうだな。

3年くらいちゃんと付き合っている子がいそうだな。

杉山くんみたいな、自分より少しブスな人とつるんでいそうだな。

一瞬だけ関わった(関わったともいえないか)

ゆうきの半生を貧相な想像力で妄想する。

 


バイトを辞めるくらいのことを「卒業」と自分で言えるだけの自己肯定感、欲しかったな。

しょーもないな。

 


本当はしょーもないんじゃなくて、バイトをやめるような小さな人生の節目に集まってきてくれる友達がいるような人間になりたかった気がする。

 


そんなことをぼんやり考えていたらゆうきの友達たちは消えていたし、開場時間が近づいていた。氷で薄まったあまりのコーヒー牛乳を一気に飲み干す。

うっす。まっずい。

ごめんね、いろいろ思いすぎたよ。ごめん。

ゆうきさん。ご卒業、おめでとうございます。

明日から、何者として生きるの。

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手の中にあるこれからのあなたへあたしへ

そんな日が来たら仕方ないなって抱きしめてね

♩未来を拾いに/aiko

 

こんにちはこんばんはみくにん。

一年に一度のこの交換日記(最早交換日記と定義する)も四年目だね。

 

ところで、去年のみくにん同様舞台本番とバチ被りの忙しさにかまけて私もブログに手をつけられてませんでした、ごめんね。

現在時刻は4月16日0時15分です。

戒めとして、どんなに忙しくてもお祝いの言葉をぴったりに送れるように、今度なにかしらで4桁の暗証番号を設定を求められた時は0416にしようと思います。

 

同じ相手に、同じ日に、同じテーマで文章を四年綴るということが人生でなかったので、一年目はともかく、ここまでくると不思議な気持ちしかありません。

ずっとコンスタントに連絡を取り合うわけでもないけど、根本が連絡不精な私からしたらみくにんとのLINEの頻度は十分にコンスタントです。

 

そして、ほんと変なくらい…みくにんへの好きの形が変わることもなく、廃れることもなく、忘れることもなく、ヘッダーを改めて見返してみたり、わざわざ「井本みくに」で検索をかけてみくにんの最新ツイートをチェックしたり、あ、またプロフィール変わってるなって思ったり…ラジバンダリ。

ほんとに変わりません。一方的に、コンスタントにみくにんの近況を確認しています。

私たちはスーパー心の友なので、あくまで近況の確認であり、ネトストではありません。ネトストではありません(大事なことなので2回以下略)

 

この一年、時間が止まったように自由に色んなことできなくて。私も、きっとみくにんも相当なやりきれなさを抱えていたのかなと思います。

そんな中でもミスiDにエントリーしたり、こまちを拾ったり、お引っ越ししたり、シメには自分で演劇を打つことを決意したり!(すげーー!)プライベートでも仕事でも怒涛のことをやっていて、それを遠くからわぁーーわぁーーと見ていました。

そんなあなたはキラキラに見えました。

 

ただ、去年と違うところはどんなにみくにんがキラキラしていても、去年の交換日記に書いたような…みくにんをミュートしかけるようなくらいの嫉妬には苛まれなかったということ。

 

あまりにも演劇から強制的に離れてしまって、演劇がなくても生きていけるでしょ!ってことを自他共に何度も言われてるような感覚の中で生活してきたからなのかなぁ。

今の私から演劇でできた人間関係をとっぱらったら(演劇やり続けていたとしても、あり得ないくらい早いスピードではじめましてとまた会いましょうを繰り返すから、その中でできたご縁や人との関わりて一定期間で薄れていくなぁとも思うんだけど)

 

本当に両手くらいの人数しか残らんのちゃうか?とも思ってて、それってきっと演劇とか関係ない純粋な人対人で好きなひとたちなんだと思うんだけど。

絶対に一億パー、みくにんはその中に入るなぁって。当たり前なんだけどね笑

 

そりゃね。今だって東京千代田区有楽町にある日本放送から全国36局ネットでお送りしたいし、テレビジョンやえんぶの表紙を2人で飾りたい、お芝居でもまた一緒にセリフを交わしたいけども、そういうの取っ払ったとしてもあなたのことずっと気にかけるだろうし、物理的に離れる未来があったとしても(私なんかこれ自分が逮捕されるの予知してる人みたいな文じゃん)一年に一度くらいは定期的に会いに行きたい人物なんだなぁって。

 

この一年、演劇とみくにん個人を切り離してそう思いました。(なんか変な言い方〜)

 

いつか、とか、状況が落ち着いたら、とかの言葉は一旦置いといて、兎にも角にもみくにんに会いたいな。みくにんだって会いたいでしょ!!!!!!(圧)

 

あと、何年かけてもいいから、詩集は完成させてよね私が死ぬまでに。

みくにんのこれから一年がいいことがほぼほぼで構成されますように!

半年後くらい、お返事待ってマース♡♡

 

卍卍卍どんみく一生心友卍卍卍

神様あなただけ知ってるなんてずるいよ

ねえ

ももいろクローバーZ/月と銀紙飛行船

 

こんにちはこんばんは

写るんですの現像がうまくいってて嬉しかったです。

どんです。

 

三匹いた金魚のうち1匹が金魚が亡くなった。

迎えてすぐに病気になって、アクアリウム屋に薬を買いに行ったら

「元々は普通だったのに、人気になって量産されて遺伝子が弱くなって死にやすい品種になったからうちではもう扱っていない、長く生きることはない」

と言われた。

そこまで言い切られていたのでショックは大きくなかった。

というか、量産して全体的に弱い品種になったって酷い話だなと思ったけれど、私だって可愛いなと思って飼ったのだからその人らと思考はかわらないのかもしれないとショックを受けたことの方が大きかった。

 

 

すぐに病気にかかって薬の水に入れて、治って、を何度も繰り返していたのでやはりアクアリウム屋の言うとおりなのかもしれないとは感じていた中での出来事だった。

 

それでも、何度もアクアリウムやに電話をして相談したり(すぐ死ぬと言う割に、わからないことは何でも聞いてくださいというスタンスだった)、ネットで治療法を調べたり、やれることは全部やってきたつもりだが、寝て起きたら動かなくなっているところを見ると私の知らない誰かが私のことを責めてくる。

あーあ殺した!と。

 

正直、実家の庭は金魚の墓だらけだ。

幼い頃から金魚掬いで取ってきてはすぐに死んでの繰り返しだったように思う。

金魚掬いの金魚はアクアリウム屋で売っているものより弱いことも知らないで、今度こそと世話をして、そして死ぬたびに、あーあ殺した!と当時も知らない誰かに心の中で責められていた。

 

そのうち父もアクアリウムに凝り始め、熱帯魚にも手を出した。

グッピーの雌が妊娠して、繁殖に成功させた時はとても嬉しかったのに、暫くして赤ちゃんの形がはっきりしてくると何匹かは奇形が存在して、そういう個体は特に気にかけて世話をしても漏れなくすぐ亡くなった。

 

一生懸命やっても死ぬ時はどうしたらいいのだろう、特に魚。

人生の中でずっと考えている。

 

1匹目が亡くなって、生ゴミとして扱いたくはないし、かといって自分の土地でもないどこかに勝手に埋めるのも…と考えていたところ、「ツマ葬」というワードにたどり着いた。

 

エビに死骸を食べさせる葬い方であることがわかった。

ツマは恐らくエビが啄んでいる時の擬音だ。

人間でいうところの「鳥葬」にあたるものなのだろうか。

 

それにしようかと決断し、すぐ死ぬ発言をしたアクアリウム屋に電話をしてエビを取り置いてもらった。

エビを水槽に放し、動画で見たようにワッと群がって食べていた印象はなかったが、しばらくすると骨が見え始め、さらに時間が経つと1匹目は跡形もなく消え去った。

 

それと同時期に、後を追うように2匹目も1匹目と同じ病状で亡くなった。

特に感染る病気でもなく、水の中の常在菌に身体が耐えられなくなって起こる病気だったので多分各々弱かったのだと思う。

振り返ると、三匹の中で弱いなと感じた順に亡くなったと感じる。

 

亡くなった直後、2匹目を薬の水槽から普通の水槽に戻したらあっという間にエビが群がり摘み出した。

神輿を担ぐようにみんなで金魚を移動させながら(摘む反動で金魚が移動する)ツマ葬がはじまって、同じ水槽にいる最後の1匹はあらそうですかと言わんばかりにたまにちょっかいをだしてつついていた。

 

かと思えば、たまに慈しむように2匹目の周りをぐるぐる泳いでエビを蹴散らしたり、不思議なやつだ。

 

ただ埋めてしまうよりも、エビが2匹のいろいろを受け継いでいるような気持ちになるから、ツマ葬を考案した(きっと混泳させている水槽内でたまたま起きた出来事をそう呼ぶようになっただけだと思うけど)人はすごいなと思った。

 

「そういうもの」だったとしても、事実亡くなってしまったんだと少し気落ちしながらエビを買いに行った時にアクアリウム屋が言ってくれた「それでも半年くらい三匹のお世話をしたんでしょ?本来すぐ死ぬのに、それだけですごいことですよ」という言葉が少しだけ私を救った。

 

 

 

いちど会ったらともだちで まいにち会ったらきょうだいだ

みど ふぁど れっしー そらお

♩ドレミファ・どーなっつ!

 

こんにちはこんばんは

四年前からやっているラジオを初回から追い、最近やっとコロナの話題が出るようになってきました。どんです。

 

 

今月、消せないタイプのボールペンで書いたスケジュール帳から、なんど「稽古」の文字を塗りつぶしたかわかりません。

稽古と書いてあるのだから、新しい予定が入るごとに、あ、この日は稽古か、と一旦公演中止ではない世界になり、また一瞬で、そうじゃなかったと引き戻されて、また塗りつぶす。そんなことをしている最近です。

 

来月になったら「エレキ初日」「2日目」とかもぐしゃぐしゃと塗りつぶさねばなりません。かき消すたびに、じわじわと、やっぱり中止なのかと無意識的にも意識的にも何度も自分と会話をします。

 

 

最後にした稽古は12月27日。実に1時間は私の出るシーンに使われていて、セキユさんや周りの俳優さんたちと必死にシーンの一部を使っていました。

私は身体の使い方が下手で、本当に自分にがっかりした日でありました。

同時に、この世界の中でもっと自在に息ができたらどれだけ楽しいのだろうと、少しだけ見えた物語のピースにたまらなくワクワクした日でもありました。

今思えば、2020年最後の稽古というだけではなく、エレキ鰻自体の最後の稽古となってしまいましたが。

 

ある朝起きて寝ぼけ眼で公演中止の文字を見た時、シーンの立ち上がりを見ていた分、所属団体の公演よりもがっかりしてしまって1ミリの先も見えない気持ちになりました。

既読はつけずに、嘘なのではないかと二度寝して、やっぱり本当なんだと繰り返すと2度辛くて、延期ではなく中止なことも輪をかけてつらくて。

 

3年前?エレキ鰻を見た時、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたドラマ館の隅っこで、尻の痛みも忘れ一人で大興奮していたことがもう500年も前のことに感じます。

飛沫も汗も飛びまくりの熱量に圧倒され、床から上半身だけ飛び出してくるそーへいさんに大爆笑して、公演後も爆音のロードやアジアの純真がずっと脳内で再生されるような、そんな、そんな手放しで大好きだと思える舞台にまた一つ出会えたことが誇らしくて、嬉しかった。

 

そして、大好きな俳優さんたちとその作品を再度作れることがたまらなかった。です。

最後の稽古をした時、あまりの自分のできなさにこれは苦しい闘いになるぞとも思ったけれど、是非とも闘い抜きたい、という前向きな気持ちの方が大きくて、もう書ききれないけど、大好きなのです。

作品も、俳優さんたちも。

 

 

公演中止のツイートをした時、ご時世という言葉も使いたくなくて、何といえばいいかわからず結局ブログにまで及んでしまいました。

完全にお気持ちブログでしかないですね。笑

今はやっぱり気持ち的には1ミリ先も見えないし、語彙がない故にうまく伝わらないなとおもって言葉にできない気持ちがいっぱいあるけど、それでもまたどこかで、なにかしらで私に出会ってもらえたら、何より嬉しく思います。

また、どこかで。

 

どんより。