活丼

丼の活動

はじまるまえから終わりを思うの

奪われてしまうのがこわい 

奪われてしまうのがこわい

だって あなたは運命の人

♩運命の人/吉澤嘉代子

 

こんにちはこんばんは

少し痩せたからって最近好き勝手食べちゃっています

どんです。

 

一人芝居終演から早いもので1週間、もうすぐ経とうとしています。

からしたら早いって感覚というよりかは寧ろ遅く感じていて、いままでマグロのようにノンストップで動き回っていたもんですから、ここ数日はこれでもかと自分を甘やかして、学校の2文字は丸無視ぴーぽーで生きています。

例えるなら間違いなくナマケモノでしょうね。

カスかよと石を投げているそこのあなた、正解です。

 

でもまあそろそろ、向き合わなきゃなあと、そうじゃないと罪悪感に圧死させられそうなんです許してくださいごめんなさい生きててもいいでしょうごめんなさい。

と、こんな感じの枕はおいといてですね。

 

改めまして、宮下真実ひとり芝居「インスタント・ガールフレンド」にご来場いただきまして、ありがとうございました。

 

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私は今回主催の立場だったので、裏からも表からもお客さんのことに対して色々考えながらの公演だったわけですが、毎日家に帰って収支の計算などをしている時にドタキャンがほとんどないことに気付いてうれしくて、毎日予約表を枕元に敷いて寝ていました、意味はありません。

 

それこそ予約開始当初はなんでか好調な売れ行きに戸惑って、知らんところで知らん人の恨みでも買っていて予約欄にある知らない人の名前が全部架空予約だったらどうしようと思って知り合いの主催さんに電話で相談してみたり、アドレスを検索してみたりしていました。が、結果的に杞憂で終わって本当に感謝しかありません。みんなちゃんと実在している人間で、ひとりひとり顔を見てリンドールをお渡しできたこと、嬉しさしかないです。たくさんありがとう。

 

そんなエピソードの後だと分かると思うのですが、わたしは元来とても卑屈な人間です。

まさにタイトルのとおり、「はじまるまえから終わりを思う」人間です。

恋愛においても、愛や恋をしたところで自分にはハッピーエンドなんてないんだと自ら不幸に飛び込む準備をし始めますし、寧ろそっちのほうが居心地の良さすら感じてしまって、最近はカップルをディスることしかしていないように思います(劇中参照)

 

もう自分に所謂一般的な?女性の幸せなんて無理なんじゃないかと本気で思う夜が何回あったか、数え切れません。

まあそんな人間なので、告知をした時もしばらく機内モードにしてみんなからの反応は見ないようにしていたし、チケット発売の時も同じことをしていました。世間に向けて行なっているものなのにその反応がないことばかり想像して、自分の輪郭がなくなっていって、人前に出てるのに人から認識されてないんじゃないか、とそればかり考えていました。

結果で言うと全くその逆で、毎公演客席は蒸されているシュウマイみたいにたくさんの人が居て、立ち見してくれる人まで毎回居て、なんだか夢でも見ている気でした。そんな夢のおかげで?

公演期間中は傷つかないようにエゴサしないようにしようと思っていたのも束の間、寝る時間も削って(いやずっと寝れない生活だったのですが)必死にエゴサをしちゃってました、てぃひひひ。

 

何度も言いますが、そんなわたしになれたのはみなさんのおかげ様です。

本当にありがとう。

 

今回の物語について少しお話ししましょうか

このおはなしは平たくいうと、まあわたしの話ですね。

私の中の何か分からないもの、言葉にはできない程度のモヤモヤ、つよく感じてるけど人にうまく伝えられない事、悩み、ねたみ、嫉み、そんなものを表情さんが濾過して、さらにふるいにかけて、一番核になるような部分だけを残してくれたのが今作です。

 

まあわたしパチンコもスロットも行った事ないんですけれど、メメントも見た事ないんですけれどw

自分の中にいる4人の自分と対話して、もちゃもちゃして、でも最後には少しだけ「マシ」になる、作品です(雜)

 

前のブログでも少し触れましたが、自分との対話なので、言ったことが全てブーメランで返ってきて、致命的ではないものの少しずつ自分が傷ついていくのが分かりました。

でも、ちりつもで、毎日考えているとどんどんメンタルは壊れていくし(ダジャレじゃないです)今まで見ないようにしてきた自分が堰を切ったように自分のことを責めてきて、本当勘弁してくれって思ってましたし、一人芝居の裏のこと、表のこと、いろんな考えなきゃいけないことも押し寄せて来て、日に日に眠りは浅くなり、げっそりどんが出来上がりました。

 

別に何でもない、大変な問題でもない、でも自分と向き合うってこんなに辛いことなんだと思い知りましたね。綺麗な作業でもないし、むしろきたないもんだなと。

でも、それを続けていくうちに作品の精度は上がってきて、なんか知らんけど途中でメガ進化してブーストがかかりボコボコと作品が明確になりました。

正直な話、本当にホッとした、稽古場見学で初めて人に見られた時にこれはもう無理かもしれないと心がやられてしまって、終わった瞬間号泣したのですが、なんやかんやあり、何とか見世物として成立できたんとちゃうかなと、自分で認められるようになりました。

 

正直、この作品を「はいはい、身内向けのファンサ」ねと思っていた方はたくさんいたと思うんですけど、わたしもそう思われてんだろうなとべつに言われてないけど気づいていました。何なんでしょうね、そういうの意外と伝わってしまうの。

 

あーナメられてんだろうな、不快だな、殺してやりたいな(その価値観を)という気持ちと、でも今のままじゃそこで終わるんだろうな嫌だなという気持ちのせめぎ合いで、自分の演技力のなさに泣いて、そういう人からのまだ浴びてもいない品定めするような視線を想像して泣いて、なんつか、そういう涙も本番を迎えて帰っていく方の目を見ていたら今はもう大丈夫だなと確信できたし何が言いたいかというとなめんなよって事と、どんのアレを引き出して伸ばしてくれた表情さんはアレってことです。(????)

 

なんか長々と描いてしまいましたが、ここまで書いといてなんやねんと思うかもしれないけれど、大千穐楽の挨拶でもお話しした通り、全ての上演を終えた時点でこの作品に対しての気持ちとかは成仏してて、特になんかこう、ロス的な気持ちもないんですよね。

とても楽しかったけど、どっちかっていうと辛かったことのほうがおおいし(笑)

だからこの瞬間にもフレッシュな気持ちは失われつつあって、今思い出せる限りのことを書きとめようと必死なわけです。

 

なんだろうな、あとはうーんと。

気づいた事とか書こうかな。

あのハコの距離感だったからこそのものだと思うんですけど、いままでお芝居でお客さんからのリアクションでこちらが受け取れるものは笑ってるのと泣いてるのの二つだけだと思っていたんですよ。

でも違くて、言葉にはできないニュアンス的なものになってしまうんですけど、薄ぼんやりした視界の中で

 

「今この人は自分に向き合いながら見てくれてるな、何か重ねながら見てくれてるな」

 

と確信する瞬間が何度かあって、実際twitterにもそのような感想が上がってたりとかして。べつにわかりやすいリアクションをとってるわけではないからもうこれは私の中だけのアレなんですけれども。

 

あとは、これは言うとマジでキチガイかな?って思われると嫌なんですけど、クライマックス、自分で自分のこと肯定してあげるシーンがあるんです。

でね、大千穐楽でね、目の前に自分の顔が見えたんですよ、虚無に話し掛けていたわけではなく、当然芝居の中でも自分に話し掛けているシーンなので、当たり前っちゃ当たり前なんですけど、こんなに鮮明にみえる?!ってびっくりしましえっ??いや違いますよコカインも大麻もやってませんって違います助けて……

 

そんな感じですかね、あとはわたしがエモまって書いたであろうメモ書きを貼り付けて茶を濁します。

 

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もう書くこともなくなってきちゃったなあ

ふふふ、そろそろ全部おわり。

 

最後くらいばちこり〆ますかあ。

↓手紙です

 

見に来てくれたあなたへ

こうやって手紙の形式にしたらしまると思ってやってるんじゃないですからね。

本当に、来てくれた人一人ひとりに手紙を書きたいと思ってるくらいの気持はあるよという現れなんですからね。

 

半年前、こんなことになるとは想像もしていませんでした。向こう見ずで始めたこの企画、何度後悔したのか分かりません、なんで落語やるなんて言っちまったんだ、なんで、なんで・・・

向う見ずすぎて、なんで、の連続でしたが……結果、やってよかったと心からいまは思えています。舌の根も乾かぬうちに、またやりたいねなんて表情さんと小指をかわしました。

 

わたしは普通だし、なにものでもない、なんでもない留年生です。部屋は汚いし、お風呂をケチってシャワーだけの日もたくさんあるし、家に帰ってYouTubeを見ながらひとりでコンビニのお惣菜を食べているとたまあに本当に何にもない人間じゃないかと虚しくなってたまに涙が出てくるくらいには普通です。

 

そういう感情も全部、実は普遍的だし東京の独り者なら誰でも感じていることも気づいています。

 

でも、そういうのも全部私だけのものだと思いたい時期があって、そんなことを感じる自分は特別なんだと思い込もうとしていました。

はてさて、困ったもんでしたが。

それもこの作品を通じてそういう自意識は少しだけ「マシ」になって、なにものでもない自分を認め、それだって少しくらい愛しいじゃないかと愛せるようになりました。

 

その境地に至るまで、少しばかり命を削る思いもしました。

ここで朗報なんですけど、命は削るとキラキラして、だから板の上に立っている人はキラキラ綺麗なんだそうです。そうなのか、さぞかし、と、映像で見て見たら、ただ必死に汗と涙を撒き散らしているゲロブスしか写っていなくて泣きました。

 

でもtwitterの感想などを眺めていると、どうやら現場に立ち会った方々は恐らく私の命の削ったかけらを認知できているなと思ったし、そこから更に、自分の人生に照らし合わせたり、なんだりしていて、脚本演出の力はありながらも、自分がここまで誰かの人生に介入できるんだ、と嬉しくなりました。

あなたの思った感想は、あなただけの気持ちです。

他の誰かに侵されることもないし、私であろうと100%渡り合えることはできないものです。

それを大事に持っていてほしいなとおもいます。

そしてたまあに、思い出した時に取り出して眺めたりして、またしまってほしいです。

私もわたしの感じた気持ちを大事にして持っておくので、今度あった時、宝物を見せ合うようにお話ししたいなあなんて思っています。

 

なんでもない私の文章をここまで読んでくれてありがとう。

「なんでもない」と言えるようになったのもあなたのお陰です、あの三日間、私のことを選んで会いに来てくれて、特別にしてくれたから

私の中の「お願いだから選んでよ、特別にしてよ」と泣いている子は成仏できました。

そういう欲求のありかを自分に無理に求めなくて良くなったというか。

 

兎にも角にも、何回だってありがとうと伝えたいです。

そして、この芝居を経てどうなるのか、一緒に見ててくれると嬉しいです。

これからも仲良くしてね、また劇場で遊んでね。

 

どんより。

 

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