いつぞや誰かがキスをする
♩瞳/aiko
こんにちはこんばんは
家の廊下が冷たすぎて足が痛くなってきます。
どんです。
やっとこさパスポートの申請諸々を済ませて
やっとこさ群馬から帰還しようとしている道すがらです。
いやー業務的な手続きって本当に面倒ですね
そして、群馬は本当に何もない(憤怒)
おこですよ。
電車に乗りっぱなしってだけの行為でかなり疲れるのに、パスポートが出来上がったらもう一度取りに行かなければならないのです。
ぐおおおお、都内まで送ってください。頼む
でも、駅前に新しくできた駅ビルの中になんとリンツが入っていたので
それだけを楽しみにあと一回の帰省をしたいと思います。
まあ私の地元は、そこからバスで1時間かかるんですけどね。最寄りなんて概念はない。
前回のブログに、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行くかどうか、
いうことを少し書きましたが
結論。勇気を出して会いに行きました。
それについてどうこう書くのは
下記の記事参照でよろしくです
http://dondayo.hatenablog.com/entry/20170907/1504719705
四階建ての老人ホームに2人は住んでいて
おじいちゃんは3階、おばあちゃんは1階
に分かれてそれぞれの部屋があります。
恐る恐る足を踏み入れると
何も変わってないくて、飾られた絵もそこにいる人たちも。
若いからでしょうか、何度来ても自分はかなり浮いているような感覚になります。
おじいさんおばあさんに、物珍しいという目線を向けられます。
体感として。
そしてやっぱりあの施設の匂いがとても苦手です。死の匂いというか。
何年もそれを言葉にしようとしているけど、
見つからなくて、なんとも言えないものです。
数年前に、今は削除済みのブログに同じようなことを書いたら大して知らないおじさんから
「わかるわかる!」とか軽率に言われて何故かキレそうになったので、私の中で言葉が見つかるまで、この匂いについての感覚は丁重に扱おうと思っています。
もし、これは?って言葉があるなら教えて欲しい。それくらい独特なものなのです。
匂いをくぐり抜けておじいちゃんの部屋にはいると、そこはもっと濃い匂いが立ち込めてる空間で、おじいちゃんに
「まみだよ、きたよ」と声をかけても、虚ろな目を少しだけ開いたまま反応してくれません。
おじいちゃんは白内障で目が見えないので
水に白と水色の水性絵具を垂らして少しかき混ぜたような目の色をしています。
それは年々、白目と黒目の境目なくそんな色になってきていて、それとこれが関係あるのかどうかわからないけど、濃くなった水色を見て
こんなになってもまだ呼吸をすることを余儀なくされていて可哀想と思いました。
本人に自我があるのかないのかわからないし。
これはおばあちゃんにも言えるのだけれど
自分が何者なのかすら忘れているし
なんで生きてるのかわからないじゃないか
生かされてるの可哀想じゃないか
本人が本当にどう思っているかこんなになってたら聞き出すことも出来ない
もし日本に安楽死があったならよかったのか
これは親族のエゴだやっぱり私はこういう光景を見るのが嫌いだと思って
そうしたら私は一気に涙目になって
ボロボロ涙がこぼれましたが
おじいちゃんはそれでも無反応で
ティッシュを2枚だけ取って
またね、とだけ言って部屋を出ました。
私が会いにいかなかった理由は、彼らが既にそういう状況で死んでいるのと変わらないから、と思っていたけれど、
それに加えて、物理的に変わってしまった姿を見るのが単純にきついから逃げたい。
が加わるなと自覚しました。
階段を2回降りておばあちゃんの部屋に行きます。おばあちゃんは口調や見た目は意外と何も変わってないから、それこそきついです。
アニメとかでよく、自分の親しい人が見た目そのまま中身が悪く変わってしまって
殺したくないけど殺さなければならない、みたいなシーンを思い浮かべてください。
「あら〜、随分と綺麗なお嬢さんだこと、どこの子?」
まあ覚悟はしてたけど、ジャブくらいのもんだけど。
「宮下真実です」
「真実ちゃん?いらっしゃい、どうぞお座りあそばせ」
あそばせって……そんな言葉づかいするか(笑)
「あなたはどこからきたの?」
「東京」
「今日来たの?どこかにとまったの?」
「あなたの息子の家に泊まったよ、娘だから」
「私に息子がいるの?」
「いるよ、3人。娘も1人。その次男の娘」
「そうなのね、それで、あなたどこから?」
「東京」
「そうなのね、それで今から帰るの?」
「うん、その前に少し会いに来たの」
「そうなのね、あなたの名前は?」
「真実です」
数年前より明らかに進行している認知症が
会話を通して伝わってくるのがしんどい
↑の会話の娘である私のおばさんは四人兄弟の末っ子でとても可愛がられた恩から
私にまで毎週おばあちゃんに会いに来るように強要して、更には
「私はあれだけ面倒見てる。あなたは世話になったのになにもしていない。会いに行かないでおばあちゃんに忘れられても知らないよ。」
と、当時高校生の私にまでマウントをとる始末の人だった。
でも、そんなマメに会いに来ているであろう叔母さんですら忘れられているのだから
私が会いに行っていたところで何も変わらなかっただろう。愚かな女。
そんなことを思いながら
同じような会話を何度か繰り返したあとに
「そうねあなたにお小遣いでもあげたいのだけど、私今お金持ってなくて、ごめんなさいね」
と。
でもこのやりとりだって何度も既にしているのです、それこそ何年も。
その度に何度も私は
「ありがとう、気持ちだけで」
と返して。
「あなたの名前も忘れてしまったけど、なにちゃんかしら?」
とまた聞いてくる。
私はみくにんとのプリクラしか持ち合わせがなかったので、従兄弟(叔母さんの子供)の写真の隣に自分を貼って
小さく叔母さんにマウントを取り返したつもりになりました。
おばあちゃんは
「これを毎日眺めてあなたを忘れないようにするわね」
と優しく言ってくれました。
きっとその発言すら5分後に忘れるだろうけど。
彼女にとっては急に会いに来た知らない年頃の女であろう私にも
最後には「またきてね」と優しく送り出してくれて、そういったところだけは変わらないのだなど、少し泣きました。
でも私もまたきっと、東京の空気を吸っていれば今の苦しい気持ちも忘れるだろうし
どうにでもなってしまうのでしょうけど
形に残ってるものだけ、辿って思い出して生きようと思いました。
どんより。