活丼

丼の活動

1920

人の人がアノハを見てくれたんだってー!

すごい。

すごすぎる。

 

2つ前のブログの最後に

この作品にたくさんの人が出会えますようにって書いたわけですが。

間違いなく実現してますねえ、素晴らしい本当に。

 

すごいことだから、なんか他人ごとみたいな気持ちになってるけど、私も一部関わらせてもらってることなんですよね、ひええ。

ありがたや……。

 

終わってからの私はといいますと、超ロスってました。

私は結構躁鬱の落差が激しい方でして、ジェットコースターみたいなんですよね、感情の起伏が。

いえええええいおわったぁぁぁぁああ楽しかったぁぁぁぁあ……ぁぁあ!……あ

 

 

あ…………………(チーン)

 

てな感じになってしまって何か用事があるとき以外は少し寝込んだりしてました。

 

落ち着いたからこのブログを書いてます。

 

私はほんっとーのほんっとーにこの作品が大好きで、マジで、普段演劇とか見ない人にこそ見て欲しいって、2つ前のブログで書きましたね

 

しかし、あれだけ言葉を尽くして書いたブログも、実際に読んでほしい層の人からはリアクションはなくて…はあ、これが現実かよーなんて思っていたのです。

 

でも、私が誘って見に来てくれた人たちの中にぽつぽつと、

「楽しかったからたまにはこういうのもいいなぁ」って言ってくれる人達がいて

伝えたかったことが伝わってよかったぁって少し泣きました。

でも伝わったのは私の力じゃなくて

作品やレティクル東京座さんやもー私以外の全部!私は誘うことくらいしかしてないよ、そして暑苦しいブログを書くことしかしてないよ。そんな気持ちになりました。

 

なんだか支離滅裂な文章になったけど。

あーーーあ楽しかったぁ。

宗教都市超楽しかった。

はつねっちお疲れ、ありがとう。

 

打ち上げで青海さんに号泣しながらこのブログに書いたような内容を話していたことくらいしか記憶にないな……

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前回、なんや色々あって、公演2日目過呼吸になりながら「もう3日目以降出られません〜〜!!!!オロロンオロロン」と泣いていた私に

「芝居は楽しいんだよ、なんだってできるよ、やろうよ」って言ってくれた先輩に

そうですねって、二本目に繋げて、繋がってよかったです。って伝えたい。

 

そんでもって3本目も、4本目も、その後も、楽しみます。

今何本目かわからなくなるくらいにまで

一緒に面白いことしましょう。

またあそぼーね!

ではまた。

閉門

こういか千秋楽の日、寝たら朝が来てしまうと思うのでなかなか寝られません。

 

たくさん嬉しい言葉を一気にいただいた日でもあるので、余計に余韻で眠れません。

 

私の感覚では一昨日は確かオープニングのダンスを振り入れしてるところなのですが、なんなんでしょう?ドッキリ?

 

前回のブログで、舞台を普段見ない人こそ、きて欲しい(要約)というような内容を書きましたが、改めて考えるとあまりに無責任な発言だったなと、少々反省しています。

だってわたしだって、きっと誰だって、普段から何かをスルーして生きているなと思ったから。

 

誰かに何かを勧められた時に、素直にそれを受け入れられているか?と自問自答したらやっぱりスルーすることは多いし、自分のルーティンを少し崩してまで新しいことに齧り付くのは「こちら側」にいる私たちが思ってる以上に勇気がいるな、と。

 

そういう気持ちもわかるから、ダメ元で演劇畑じゃない人たちに声をかけては無視され、断られ、を繰り返してきたこの一ヶ月でした。でもその中で。

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 こういうことや

 

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こういうことが起きて。

なんだか涙が出ました。

 

まだ自分が見知らぬエリアに安くはないお金と、時間を作ってきてくれたことは、とても、尊いこと、なのでございます(CVなでしこ)

 

わたしに出会ってなかったら知らなかった世界に連れてきてくれてありがとうって何度も言われて、正直パニックです。

わたしの方こそ、飛び込んできてくれてありがとうだから。

 

わたしが前回のブログに書いたことが伝わって、共感できて、布教完了☆て文字でかけばお手軽だけど、心の中は並々ならないくらいに幸せな気持ちでいっぱいです。

それこそ、簡単には言葉で尽くせないです。

 

人生で初めての観劇がアノハで、もう一度見たいと当日券チャレンジしてまでリピートで来てくれた方もいて、なんか、もう、すごいなこの作品!!!

すごすぎて他人事みたいに思えて来ちゃうけど、自分も関わってることなんだよなぁ、とじんわり目頭からはつね汁がこぼれます。

 

でも、もうそうやってたくさんの人と一緒に過ごして来た宗教都市も、今日で閉門。

 

千秋楽のステージは、そういった気持ちを全部出し尽くしてカラカラになって終わりたいなぁ

 

って、力みすぎると空回りしちゃってゴリラみたいになるから、いつも通り天真爛漫はつねでいきます。

🦍🦍

 

 

さ、おやすみなさい。f:id:dondayo:20171002015055j:image

 

考えることをやめないこと

「想像しろよ、俺たちには、頭があるだろう?」

とあるシーンのとあるキャラクタァのとある言葉です。さて、どなたでしょう。

 

観てからのお楽しみです!

 

 

もう幕が上がってしまいます。

上がってしまいます?いや、遂に上がります。

 

9月があっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という間に

 

過ぎてしまって、こないだまで8月は記憶が曖昧で、9月はタイムスリップして、

ん、ん…?さっきまで7月末の顔合わせにいたはず…といった気持ちです。

 

おかしいなあ。

 

私が思い出せる直近の一週間のハイライトは、

ディズニーの肉の味がする鳥のササミをたべて、あとは鳥のササミを食べたり、稽古場の埃を食べたり、稽古場に落ちてる髪の毛を食べたり、最後の通しでいつもなら絶対間違えないところで間違えてボロボロ泣いたり、してました。

 

流れるように、でもとても濃く濃く毎日すぎて、気づけばこんなところまで。

 

チケットはteam白の場合あと10/1.2の二日間しか確実にご用意できるところがありません。あとは、当日券が出るか否か、公演当日に決定するので確定できるかはわからない…って感じです。

 

私が見逃さないでください!とかいっても。

誰でも私の言葉を見られるけど、ひろーいインターネットで、果たして誰にその言葉その言葉が届くんだよ。ともすこし思ってますし。RT座さんは人気がすごいので何か言わずとも売り切れますきっと(マジで)

 

私が見逃さないでくださいとか、お待ちしてますとかいうのは、皇宮陰陽師アノハという作品が面白いと確信して、それを共有したいから。つまり、ヲタク心といいますか、

「布教」!!!したいんですよ。好きを共有したいんです。押し付けるつもりはないけど、そうやってみてもらって、もし自分が持ってる好きとハマったら、もっと仲良くなれるし楽しいじゃないですか!え、そうでもない?うるさいぶっとば…なんでもないです。

 

そして「見逃さないでください」は 演劇に興味がある人はもちろん、私は特に、

「演劇に興味がない人」に向けて言っている言葉でもあります。私のフォロワーさんはアイドルヲタが多いです。何故なら私が地下アイドル現場でスタッフとして働いていた過去があり、そこのお客さんがたくさんフォローしてくださってる、ということです。

でも、アイドル関係のツイートをした時と、演劇関係のツイートをした時。前者にしかやはり反応はないんですよね。

まあそうか、うんそうだ。

 

私自身、結構ガチなドルヲタだったこともあり、そういう方たちに見にきてもらうのって思ってるより大変で、やっぱ一番は推しちゃんがいるから、同じ4000円でも、美味しいご飯を食べるより、服を買うより、そしてお芝居を見るより。推しちゃんとチェキを撮りたい。

そう、ですね。告知をしてきて、私が感じたことは正直そんな感じです。

 

わかるーーーーーーーーわかるわーーーーー!!!だってそうやもん。価値を感じていないものにお金を払うなら自分が価値を確信しているものに払うのは当然。

私も一年前、お芝居やります!とか友達に言われたら二つ返事で見にいってた?いや見にいっていない(反語法)

生うどんのライブいくもーんて、ね。

 

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これは清竜人25

 

だからそういう気持ちが痛いほどわかる。

そしてそれに対してアプローチをかけるのもまだ下手くそ。私の心の中にある

 

「皇宮陰陽師アノハ、いいんだよ!客観的に見て、とにかくいいんだよ!!とにかく見てくれよ!!!!いいんだよ!!!!!!!!!!」

 

という気持ちを壊れるほど言葉にしても三分の一も伝わらねーってわけです。

純情な感情は空回りしてるんだよ。

 

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アハハ

 

そこのあなた

「映像化するから最悪それで見たらいいじゃん」と思いましたね?

甘い…舞台はナマモノなのです。

マァ映像で見てもいいはいいんですがね。

これは舞台を生で観た上で映像としても観たことがある私の意見ですが…

結論から言うと、別物になってしまいます。

その時、その場所で観るからこそ真価が発揮されるものです。最悪、感じることも全く違ったりします。だからこその「舞台」なのです。

手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、板の上と下はまっっったくの別世界なのですよ。不思議だよね、私も不思議だなぁと思ってます。

 

だからこそ一度、推しちゃんを一日お休みして飛び込んできてほしいです。

そして一度見て、どハマりして欲しいだなんて思いません(いやしてほしいけどさ)

日々を過ごしている時にふと、「あれ面白かったなー」って思い出したり。

「アイドル(または他の趣味)もいいけど、たまには芝居もいいかもな」って芝居に対するハードルが下がってくれたらいいなと思うのです。

願わくば、あなたが感じる「価値」の中にいたいんですよ。わがままかなぁ。

 

 

小劇場というコンテンツ自体は正直、超盛り上がってるとはいえませんが、それでもレティクル東京座さんも、皇宮陰陽師アノハも、熱盛ィィィ!だぞ。ということです。

 

失礼いたしました。熱盛りと出てしまいました。

 

長々と書きましたが。

 

要約すると。私はアノハという作品もRT座という劇団も座組も好きなので。それに対する愛を綴っただけですね。ラブレターです。

 

支離滅裂で読みにくかったと思いますが。

新しい文化を知ったり体感するのは楽しいよ。

まァまァ、試しに先っちょだけ、先っちょだけ入ってみなって。

 

詳細ー

 

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申し訳ございません

ゲキシコと出てしまいました

 

めちゃくちゃわかりやすいアノハのホームページ⬇︎

http://reticletkz.jp/anoha/

 

予約してくれたら嬉しいです⬇︎

http://urx.red/F0mJ

 

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アノハにたくさんの人が出会いますように。

もういくつ寝ると

皇宮陰陽師アノハの幕が上がる〜〜

 

なんてことでしょうか。

 

そして私のブログを読み返すと

なんと、いくつもの記事で文体がぐちゃぐちゃなことか...。

 

書きたい時に書きたいように書いている証拠ですね。ほら今だって

「ですます」口調。でも「〜だ」口調の記事もあるし

 

うーん、まぁいいか。

 

 

明日も稽古だなぁなんて思っていると、台風の風の音がどんどん強くなってきて

明日には家がなくなっちゃうんじゃないかと思うくらいになっています。

 

チケットを買ってくださった方のために頑張ろうと思う、けど、実は。

毎稽古少なからず自分に対して絶望しています。

 

私は2回目の舞台で、超、全部ひっくるめて簡単な言い方をするとどヘタクソで。そして不器用で。

 

そうやって不器用にヘマをする度にいろんな人がいろんな角度から、いろんなふうに、丁寧に私に助言をくれて。一緒に考えてくれて。

それがとっても嬉しくて。

でもそれが堪らなく申し訳なくて。

 

なんでもソツなくこなしちゃって、いやー素晴らしいよなんて自分とはかけ離れているからです。私が下手くそなせいでみんなに迷惑かけてるんじゃないかと思うからです。

 

接する人たちはみんな親切でもれなく優しくしてくれて。私だけ経験値不足だから

私はそれを目一杯吸収して、はやく同じ場所に立ちたいです。

同じ場所に立って、その後になにかを、何かはわからないけどお返ししたいです。

 

家で、教わったことを反復して動画をとって見返して、それでも稽古の時にはトンじゃってたり、たまぁにうまくいったり。そんなことの繰り返しですが。

 

本来ならばこうやって弱いことを言ってはいけないと思ってるけど、いちいち「ブログ更新しました」って言わないし。ここでだけならいいかなって。思って。

知る人ぞ知る...的な...?(笑)

 

稽古のことを思い返すと、自責の念にかられてくらいこと(ひたすらな反省とか)しか浮かばなくなってしまうので、それを悟られたくないからTwitterで稽古のことについてそんなに書いてないとうカラクリです。

 

よーく思い返すと、今日もあの人は可愛かったなぁとか、あの人とコンビニにご飯買いに行って、そういう些細なことがなんか楽しかったなぁとか。いいことだって山ほどありますよ。

 

 

ネガティヴだからズルズル反省ばかり(だけ)してしまうだけです。

日本語不自由みたい。

 

兎にも角にももう幕が上がるまで時間はそんなにないのですから。できる限り詰めて、詰めて、煮詰めていかなきゃだなと。

 

私は今日も稽古に向かうわけです。

大学は夏休みを終えたわけです。

私は今日も笹身の燻製を食べるわけです。

 

おばあちゃんに会いに行かない理由

 

ぼけーーっとしてたら夏が終わってしまった。

 

今年の夏もおばあちゃんに会いに行かなかった。

 

私は数年前まで親族の呪いに囚われていた。

でも、最近解放されたからだ。

 

私の祖母と祖父はかなり進行した認知症

祖父はさらに目が見えない。

 

中学の時から2人は同じ老人ホームに入っていて、私は何度かそれを何度も訪ねていた。

でも、何度訪れても慣れない。私は老人ホームという場所に足を踏み入れるのがとても怖い。

理由は何個かあるが。

 

分かる人にはわかってほしい。老人ホームは死の匂いがする。

ダイレクトな死臭とも違う、なんとも形容し難いような…病院よりも天国に近い場所なのではないかと思ってしまうのだ、いつも。

 

もう口も利けなくなって、自我があるかないかわからない状態でご飯を食べさせられている方を見ると私はどうしても、自分が1日、1日、その姿に近づいて行くビジョンをなんとなく想像して怖くなる。

彼らも、蝶よ花よと持て囃された時代を生きたのだろうか、若き日に恋や愛やをしたことがあるのだろうか。

「今」しか見えないとどうしても想像しづらい。

 

ま、これが一つ目の理由。

 

もう一つは会いに行っても私が知っている彼等ではないから。

 

会いに行く度に、何かを、私が誰かを忘れてしまって、最早そこにいるのは祖父と祖母の形をした何か。ということになる。

じゃあ会いに行く意味無いじゃーーーんて感じなのだ。

自分のことをかわいがってくれた2人じゃなくなってしまった今、「はじめまして」なんて言葉を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言われたとて、崩れないメンタルは持っていないということだ。

 

 

そういう病気なんだから仕方ないだろ!この人でなし!恩知らず!鬼殺し!(?)

と、思った人。いるとは思うが、実際に現実を突きつけられるときついのだ。

何度も同じやりとりを繰り返すことに耐えられない。ハルヒエンドレスエイトとか嫌いなタイプ。

 

最後は、親族からの呪いに耐えられないから。

私は現在そんなに親族と関わりを持っていない。

彼等が認知症で自分が誰か認識されてなくとも、沢山会いに行けば偉い、行けなくとも行く努力をしたら偉い、そんな小さい世界の評価基準に左右されたくないからだ。

ぶっちゃけそんなん自己満じゃんよ、

ホントは「誰かわからなくてもお世話になった過去があるし、会いにいかなきゃ...」

って、呪いを自分にかけてるんじゃない?

それでそれに当てはまらなかったら叩きたいだけじゃない?って思ってしまう。

ひねくれ者なのかもしれない。

 

高校生の頃は、部活がコンクールの時期で忙しくても会いに行って、甲子園のラジオを開きながら少し汗のかいた麦茶を飲んで、

何度も同じ昔話を繰り返す祖父に相槌をうっていたなぁとか。

祖母が、老人ホームには何も無い、でも今度お小遣いをあげるわ。きっとどこかに隠してある。とかよくわからないファンタジーを語り始めて苦笑いしたり、していたなぁなんて

遠い昔のことのように思い出す。

 

大体、はじめからこんな思想になったのではなくて、割と最近なのだ。

成人式の日に呪いから解かれたのだ。

 

小学生の頃、祖母が

「真実さんの着物姿、見てみたいわぁ。あと何年後かしら。その頃には死んでたりしてね」

なんて、私は当時成人式という概念をよく理解していなかったので

「そっかァ。」くらいにしか思っていなかったのだがその発言は何度も繰り返し言われたので覚えていて、

成人式の日に老人ホームまで祖父祖母に見せに行ったが、祖父はもう目が見えないので挨拶だけした。祖母は、

 

「アラー!あなた、綺麗ね。どこのお嬢さんかしら」

 

そう言ったのだ。

 

そうか、もう祖母は死んだ、祖父も死んだ。

あの頃の祖母の願望は彼女が生きていても果たされなかった。

なら死んだのと同じじゃないか。

死んだんだ!

 

そういう確信が私の中でハッキリとできて

それから私は今の考えに至った。

 

数年前の夏の私も、もう死んだし

 

これからも考えが変わってきっと死ぬかもしれない。

 

この話にオチはない。

 

自分にかけてあった呪いを浄化させたいだけの記事でした。

お金を時間で買いたい

というのは、ここ数日で本気で考えていることである。

 

というのも、私は私自身の人生や才能やその他諸々への期待をそんなにしたくないからだ。

 

今朝、ミサイルが北朝鮮から発射されたというニュースをなんとなく目にして、大騒ぎになってはいるが、私は「ふーん」くらいにしか思わなくて、そこまで命が終わることに関して執着をしていないのかな、と思った。

 

もし、じぶんの寿命がわかって、それを引き換えに金銭に変えることができたら幸せじゃないかと考えた。

寿命が短くなるぶん、働かないでお金を得られるし、身体にガタがきてない若い状態の時にお金持ちになるのでなんだってできる、と。

それが可能になったら私は

30歳くらいで死ぬ設定にして、残りの寿命で得たお金で、欲しいものをメルカリでどこが一番安く買えるかなんて比較することなく新品を購入したいし、やりたいと思ったことをかたっぱしから齧って捨ててを繰り返したい。

整形してもっと可愛い顔にだってなれるなあ。

 

就活だって、しなくて済むし。

働かなくて済むならそれが一番いい。

 

なんてことを知り合い(結構お年を召してる)に言ったら「甘いなぁ考えが。働いてこそ¥$%:<・……」と老害っぽいことを言い始めたので不愉快になって帰ってきてしまった一昨日。

 

あぁ、神様。

僕は長く生きたくもないです。

日本という国で、若さこそが、可愛さこそが至上。あの人も老けたなぁなんて言われたくないので早く時間でお金を買える制度を設けてくださーーーーーーーーーい!!!

 

 

打ち上げ花火は上からも下からも横からも見なかった夏の終わりにそんなくだらないことを考えている私であった。

SNSは心の毒

 

だなんて思わないけど。

基本的には養分になることが多いと思うけど、やりすぎるとやはり養分も毒になってしまう。

 

小さい頃、植木鉢に刺すあれ(通じろ)

をたくさんやればそのぶん早く成長するだろうと、あるだけ全部刺すどころか水のごとく浴びせたら枯らせてしまったということがあった。

 

それと同じで好きなものだけを眺めていればいいものを、もっともっとと知りたがるがあまり知りたくないことまで知ってしまうとか、時には、怖いもの見たさで嫌いな人のツイートを見てわざとイライラして

「ああ、これだよこれこれ、いつもの」

と普遍的な怒りを自ら生産して満足する。

だなんて馬鹿すぎる使い方をする時がある。

 

 

変だなあ。

 

 

ただ、SNSをしてから、お芝居を始めてから。

他人の多様性についてかなり理解が深まった(気がします)

 

価値観とはとても深いもので、全く同じものを見たとして、自分と同じものが見えていないのが割と当たり前なんだと気づくのに時間がかかった。

自分が嬉しいことを他人はそうでもないと思う。

当たり前のことなのに、自分が面白くないなと思ったお芝居をツイッターで検索したらとんでもなく絶賛だった時、私は宇宙人のような気持ちになる。

 

例えるなら

「砂ウメェ!!このジャリジャリタマラねぇ〜」と目の前で砂を掴んでは口に運ぶ人を見ている気持ち。

 

そんなシチュエーションあってたまるか笑

 

ともかく、他人とは理解しようにも深すぎてわからなくて良くも悪くも面白いのです。

 

自分の信じた価値観を世界の全てにする価値観だって間違っちゃいないけど、

ただそれだと自分の世界を作り上げるのにかなり労力がいるし、自分と同じくらいの価値観の人とだけ関わってストレスフリーになるまでにもかなり時間がかかる気がします。

 

たまぁに、自分の価値観だけの人に攻撃されたらします。

私はそういうところも含めて好きです!って言えるだけの度量がまだないからすぐいらっとしてしまうけど。

いつか悟りを開けたらいい。

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肉はうまい。が万人共通の価値観でありますように笑