活丼

丼の活動

あふれて選べなくて困っちゃうから

月並みだけど「ありがとう…」その先はまた今度ね

♩絢爛マイユース/でんぱ組.inc

 

こんにちはこんばんは。

ずっと険悪だった大学の友達と推しが卒業する武道館の会場で会って

尚言い争いを続けた

尖ったナイフと呼んでください。

どんです。

 

突然ですが、私は根っからのヲタクです。

物心ついたときからヲタクで

ニコニコ動画と漫画とアニメと腐ってる薄い本に青春を支えられて

その中でもヒャダイン前山田健一さん)が大好きで

ヒャダインのことを追っていったらももクロちゃんにたどり着いて

当時の私は特にピンとこないでヒャダインのことをもっと深く調べていったら

でんぱ組.inc」にたどり着きました。

2013年の出来事でしょうか

紫色の子が一番人気らしい、くらいの情報量のまま

すこしづつヒャダイン作曲でないものも聞いていきました。

ものすごい早口で入ってくる情報量の多い曲たち

BPMの速さと一緒のスピードくらいで私の中にでんぱは入り込んでいきました

そして、気づいたら2014年1月5日のライブチケットを取っていたのでした

東京すらまともに一人でいったことなんてないのに。

 

そこから、ネットででんぱ組のことを好きな同志を探そうと思って

でもやり方がわからなくて初めは

 「#でんぱ組.inc好きな人ふぁぼ」

とか、そういうタグをひたすらツイートして探していました。

(今となってはこのタグを使ってる人そんなにすきくないです)

(理由は、だいたい在宅な上に(知らんけど)メンバーの画像貼ってるだけのアカウントが多いからです(どん調べ))

 

結局、一緒に行く人も特には見つからず一人での参戦となりました。

スモークで少しだけ視界の悪いzepp

ドリンクの交換方法も分からずになんとなく人の波に流されて入場して立ち尽くしているとライブが始まりました。

思っているよりも番号は悪く、人と人の隙間からチラチラと見る程度でしたが

ああ、こんなにも、映像よりも何倍もパワフルで素敵な人たちだったんだ。

という気持ちだけは覚えています。セトリとかそういうのなにも覚えてないけど。

 

f:id:dondayo:20190108024611j:image

(チェキ帳開いたときにパッと目に入ったウン年前のチェキ)

 

 

その日のライブで、さくらアッパレーションに収録されている

夢眠さんのソロ曲「あのね…実はわたし、夢眠ねむなんだ…」

が披露されてその瞬間にもう恋に落ちておりました。

ああ、わたしはこの子が好きだ。と直感的に、電撃的に第六感に語りかけるような。

 

さわりはそれくらいにシンプルです。

夢眠さんみたいな自分の哲学を持ちたくて、彼女の過去のインタビューを検索しては読み漁ったり、夢眠さんの好きな食べ物は?そっか、ファミチキとお赤飯を交互に食べることが好きなんだ。とかとか、とか、今ではきっと忘れてしまったけど

それ以外にもたくさん彼女のことを検索して、古参の人に話を聞いて、もっともっと知りたいと、彼女のかけらを辿って集めようとしていたのを覚えています。(ネトスト気質)

 

認知こそなかったけれど

個人的な思い出もたくさんあって

高校の行事でいったディズニーで、夢眠さんはDヲタときいていたので

後輩や友達へのお土産もそっちのけで陳列棚とにらめっこして夢眠さんにあげるお土産を選んだり。

テスト期間で早く学校が終わったときは

勉強する気なんて一ミリもなくて伊勢崎駅から館林行きの電車に飛び乗って夢眠軒へと走ったり。

 

 

ここ数年、忘れていただけで思い出そうとしたら結構思い出されるもんなんだなあと

思いながらライブを眺めていました。

 

ちなみに一番の思い出は、でんぱの女限のチケットをるんるんで発券して

るんるんでチャリで帰ったら帰宅する前に群馬の厳しい風に吹き飛ばされていて

もうどうしようもねえなと各所に問い合わせと拒否を繰り返されながら

三日三晩泣いたことです。

当時高校生ですよ、5000円を風に飛ばしたの最高にキチ○イだなって。

 

今日の武道館に少し早く到着してぶらぶらしてたのですけど

そしたら何年も会ってなかった人とか結構いるんですよね。

現場の切れ目は縁の切れ目って本当にそれを何度も実感しているので

久しぶり、なんて言葉を交わしたあの人とも、あの子とも。

もう今日を境に一生会わないだろうなあって人は何人もいました。

それも全て、夢眠さんとでんぱが運んできてくれた縁で、夢眠さんとともに去っていく縁でもあるのだなと、しみじみ思いました。

わたしが舞台に誘ったら結構見に来てくれる人も、そんなの興味なさげない人も(わたしが芝居してることすら知らない人も)

みんな、夢眠さんと出会わなかったら完全なる純粋な他人のままに生きていたような人たちだから、そういった意味でも、切れるものだったとしても、その儚さごと愛おしいなあと推しに結ばれたものだと思えるのです。

そうそう、はじめにかいた、険悪だった大学の子とも笑

 

なんだかもうぐちゃぐちゃで、書ききれないくらいに思うことはあるのだけれど

それをいろんな人に伝わるようにアウトプットするだけのものはもちあわせておらんので

はい・・・・。

キラキラチューンが始まったときに、わたしはまちがいなく五年前の高校生だったわたしに戻っていたし

キラチュンを聞きながら登校していた吸うだけで鼻がツンとなる寒い朝の空気

田んぼばかりの道、自転車をこぎだす瞬間の少し疲れる一歩目、

友達に肩を叩かれてイヤホンを外してキラチュンが遠く消えていくその瞬間までぶわっとおもい起こされて、涙が止まりませんでした。

 

間違いなくわたしの人生には夢眠ねむのいるでんぱ組がどこかしらにはずっといたし

これからもいるだろうし(新体制を認めないとかではなく、それはそれとして残るということ)そこで出会った人たちの一部とも繋がってくだろうし

もらった気持ちも記憶も、引き出しに残しておけるだろうし

ああ、なんて素晴らしい、やばい宇宙一すごいアイドルを好きになれたんだろうかと

夢眠さんを通じて知り合った友達と肉を焼きながら、酔っ払って。

心から思うのです。

敬愛しています、夢眠ねむさん。

ご卒業おめでとうございます。

 

どんより。

あたしの下手くそな愛しさを

呆れて怒ったりしないで

♩おねがいよ/桜エビ〜ず

 

こんにちはんばんは

去年、来年こそは余裕を持って振り返りしようと思っていたのにこのザマです、どんです。

 

毎年恒例(?)

画像とかでごまかしながら一年を振り返る

意味あるのかないのかわからないブログ〜〜

あっ、この時点で、去年いちいち画像遡ったのクソ面倒だしはてなブログの操作性悪くてうまく画像が反映されなかったイライラが蘇ってまいりました!!!!!!!!

では、いこう!!!!!!

 

 

辛い1月

f:id:dondayo:20181231181525j:image

僕の推しが卒業しました。

いきなりお前のことじゃないことやないかーーいという感じですが、マジでこれは大事件。

そういえば、一年経ちますがまた同じくらいの時期にわたしがアイドルヲタクになったきっかけの推しが卒業します。

ああ、ああ。

 

f:id:dondayo:20181231181529j:image

あとはレバーを好きになったりしてました。

(わかる人にしかわからない)

すごく楽しかったこれ。

 

とても中身のない1月!!

なにをしていたんでしょうか。

この時点で振り返るまでもない気がしてきた

 

 

試練の2月

f:id:dondayo:20181231182246j:image

みくにんとお泊り♡

お互いになんか苦しい時期だった気がする

この時はブリ大根をふるまってくれて

早く寝なきゃねなんて話をするんだけど

みくにんとのおしゃべりが加速するのはいつも決まってベッドにはいってからで

ゴロゴロしながら他愛もない話して笑っていたらいつのまにか明け方で寝てる、なんてことがいつもの私達ですよね。

あれ、これなんかみくにんとの永遠の別れの時に書くお手紙の内容みたいになっている。

 

そのあとは

虚飾集団廻天百眼劇場本公演

「殺しの神戯」

の、はずが

f:id:dondayo:20181231182633j:image

本当に本当に役者という立場である私にとって試練の月となりました。

この写真を撮った時実はインフルエンザに既にかかっていたという。

お恥ずかしながら、私が至らぬばかりに

心も身体も弱かったばかりにインフルエンザになって半分降板してました。

リアルタイムには勿論言わないけど

業務連絡とか円陣の動画とか流れてくるグループラインをぼーっと眺めながら嗚咽を漏らしていたし、ああ、苦しいなぁって。

今思い出しても死にたくなりますな。

そして私がダウンしている間
f:id:dondayo:20181231182251j:image

大島さん(百眼の立ち上げメンバーでとても可愛らしいお姉さま)

が完璧に代役を務めてくださって、大島さんの千秋楽を見ながらひとり涙を流しておりました。ありがたいやら申し訳ないやら。

 

 

復活の3月

 

デデドン!

f:id:dondayo:20181231184752j:image

ミチアケちゃんだよ

倒れてたのでゲネ写はない!以上!終了!

 

あとは猫と仲良くしてたにゃん。

f:id:dondayo:20181231184749j:image

新宿三丁目にあるアルル(うーんややこしい)

の猫ちゃん。

 

なんだろう去年より何もしてない気分になってきました。そんなことないよ。

去年の倍は人前に出てるよ。

 

4月(もう〇〇のってつけるの飽きた)

f:id:dondayo:20181231192922j:image

うむ。

 


f:id:dondayo:20181231192929j:image

うむ。

 

氷雨丸の顔合わせの写真ですね。

あぐちゃんと似たような服を着ていました。

この頃まだあぐちゃんと今ほど仲良くはなかったから緊張からか、顔がこわばってますね。

あぐぴとも飲みに行きたいなぁ〜2019

 

この頃くらいから愛伝一家の稽古が始まります。この舞台もこの舞台ですげー試練だったな

 

 

くそやばい5月

 

実は超やばかった5月。

引っ越して集中稽古して本番してその後すぐ稽古して、みたいな。

いやー2度と引越しとかしたくないな。

ほんと引越ししたくない。

↑これ、去年のブログの2月の欄にも書いてたこと。

マジな話、石油王がなぜだか私のことをとても気に入ってすごくいろんなところのアクセスのいいところに一個私専用のマンションを買ってプレゼントして欲しい。芸能人とか住んでるようなところ(ミーハー)2019

 

f:id:dondayo:20181231193704j:image

ブロマイドのオフショット

タニーマ・ミンジャネーヨ(1996~)さん


f:id:dondayo:20181231193712j:image

お兄ちゃん、坂田俊夫役のともきさん。

 


f:id:dondayo:20181231193708j:image

舞台上でパイ投げする団体とかそんなにないんじゃないかと思います。

あのクリームは食べられないものなんだけど

バニラの匂いだけはするからつい口に入れたくなってしまうんだよね。

 

ほんと、師走より師走のように過ぎていきましたこの1ヶ月。

本番終わったらまたすぐに稽古。

この頃から、ロスにならないことに必要なのは

舞台が終わった後に次の予定を入れることなのではないかと気づき始めるどんです。

 

 

6月

氷雨丸ですですた。

 

f:id:dondayo:20181231194415j:image

森羅と万象。

森羅の漢字をたくさん間違えました。

ごめんなさい。

いがむーさんを縛る時に

何回も上のセットにひっかかって汗が止まりませんでした。

ごめんなさい。

 

f:id:dondayo:20181231194449j:image

初めての新宿村Liveという大きな会場にビビって、楽しくて、よし、次に進むぞ!と前向きになった公演でした。

 

まだ演劇も初めてないような時に、バイト先の役者のお客さんに

「俺初舞台新宿村だったんだ〜」って言われて

へーダサい名前だな。くらいの気持ちだったのに、今となっては、だ!

びっくら。広い!

ああ、また立ちたいなぁ。

立てるように頑張ろうっと。

 

 

これ、ネットにあげようと思ってたの

忘れたので今上げます。

f:id:dondayo:20181231194410j:image

エモいやつね。

 

 

7月

はるかきみへさんのモデルを務めさせていただきました。

本当に本当に嬉しかったぁぁ。

大好きなブランドさんのモデルができるなんて夢みたいで。いろんな人に見てもらえて

私の中で一つ、2018年はじまったぞ!(遅い)

というお仕事でした。

f:id:dondayo:20181231205945j:image

 
f:id:dondayo:20181231205950j:image

 

f:id:dondayo:20181231211058j:image

あとは冷汁をつくるのにハマってました

 

 

8月

HYP.39Div本公演

「ボーイズオンファイヤーVSガールズオンファイヤー」

バスタオル一枚でお芝居をするという。

私はおっぱいちゃんのホイちゃん(中国人)でした。

この役が周りからの評判がめちゃくちゃによくてどわっとフォロワーさんが増えてびっくりしたのも良き思い出。

f:id:dondayo:20181231211144j:image

 

少しだけ、プロレスに詳しくなりました。
f:id:dondayo:20181231211140j:image

うふふ。

平成最後の夏が熱く彩られましたな。

 

 

↓ここから文学賞を受賞された方(からすやまるい氏)の虚構ブログ

 

9月

f:id:dondayo:20181231212724j:image

9月!高校の同窓会がありました!

久々に遭遇したかつてのボーイ・ミーツ・ガールたちは各々様々な世界に生きていて、私も感慨深くなっちゃいました!

10月
f:id:dondayo:20181231212720j:image
f:id:dondayo:20181231212716j:image

10月!舞台で吠えた。

何故ならば、内定をもらったから!

高校の同窓会メンバーでまた揃いました☆

11月

f:id:dondayo:20181231214941j:image
f:id:dondayo:20181231214946j:image
f:id:dondayo:20181231214956j:image

11月、可愛かろうツーショット。

私は首元に【50】の烙印を押されて、女子高生型アンドロイドとして生きていく運命となりました。

12月
f:id:dondayo:20181231214936j:image
f:id:dondayo:20181231214951j:image
f:id:dondayo:20181231215000j:image
f:id:dondayo:20181231215004j:image

12月。友人が馬の覆面を被り、舞台上でONE PIECEごっこをしました。馬になっても仲間です《ドンッ!》

最後の写真は、知らない赤ん坊。

 

 

もう振り返るの半ば諦めて途中から今鍋をしていてるお仲間のお一人にミリしらブログを書いていただきました。

ツヅキエイミ氏主催の鍋会でございます。

こんなのないから、まあこれもこれでありということでお許しください。

同窓会しすぎだろ。

 

 

まあこれで締めるのもアレなので

今年一年

どんちゃんのおかげで楽しかったとか、私きっかけで舞台に興味をもってもらって、知らない世界をよかったとたくさん言ってもらうことがあって。

 

私は私の好きなことをしているだけだから誰かのためにやっているわけではないけれど

そのことを見ててくれて、それで楽しんでくれて、会いにきてくれて、気にかけてくれて本当に嬉しい限りです。

なんなのかな、よく言葉を知りませんが

WIN-WINという言葉なのかな。

それはとても幸せなことよね。

 

でも会いにきてくれる方々は私がいなくても日々を暮らしていけるけど、会いにきてくれる方々がいなかったら私は活動していけないし、そういった意味ではまた違うのかもしれないけど。ああ、良い子を応援しているなと。

そうに思ってもらえてたら幸せです。

 

これでそれっぽく締められたと信じたい。

いやほんとに思ってる事ですからね。

なんか酔いはじめてうまく文字が書けないけど

これから出会う人も、今年出会ってくれた人も、来年も劇場にて遊びましょう。

早くお知らせしたい未来がたくさんあるのです。もしよかったらね、気にかけてくださいな。結構都度のブログでその時の思いとかは書いていってるので振り返るまでもなかったという説もありますな。

いやいいんだ

 

言いたいことはそんぐらいです。

 

 

ほーーー、書き終えたかな。

 

それでは皆さま、良いお年を〜!

健やかに育ったあなたの真っ白なうなじに

いつぞや誰かがキスをする

♩瞳/aiko

 

こんにちはこんばんは

家の廊下が冷たすぎて足が痛くなってきます。

どんです。

 

やっとこさパスポートの申請諸々を済ませて

やっとこさ群馬から帰還しようとしている道すがらです。

いやー業務的な手続きって本当に面倒ですね

そして、群馬は本当に何もない(憤怒)

 

おこですよ。

電車に乗りっぱなしってだけの行為でかなり疲れるのに、パスポートが出来上がったらもう一度取りに行かなければならないのです。

ぐおおおお、都内まで送ってください。頼む

 

でも、駅前に新しくできた駅ビルの中になんとリンツが入っていたので

それだけを楽しみにあと一回の帰省をしたいと思います。

まあ私の地元は、そこからバスで1時間かかるんですけどね。最寄りなんて概念はない。

 

前回のブログに、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行くかどうか、

いうことを少し書きましたが

結論。勇気を出して会いに行きました。

 

それについてどうこう書くのは

下記の記事参照でよろしくです

http://dondayo.hatenablog.com/entry/20170907/1504719705

 

 

四階建ての老人ホームに2人は住んでいて

おじいちゃんは3階、おばあちゃんは1階

に分かれてそれぞれの部屋があります。

 

恐る恐る足を踏み入れると

何も変わってないくて、飾られた絵もそこにいる人たちも。

若いからでしょうか、何度来ても自分はかなり浮いているような感覚になります。

おじいさんおばあさんに、物珍しいという目線を向けられます。

体感として。

そしてやっぱりあの施設の匂いがとても苦手です。死の匂いというか。

何年もそれを言葉にしようとしているけど、

見つからなくて、なんとも言えないものです。

 

数年前に、今は削除済みのブログに同じようなことを書いたら大して知らないおじさんから

「わかるわかる!」とか軽率に言われて何故かキレそうになったので、私の中で言葉が見つかるまで、この匂いについての感覚は丁重に扱おうと思っています。

もし、これは?って言葉があるなら教えて欲しい。それくらい独特なものなのです。

 

匂いをくぐり抜けておじいちゃんの部屋にはいると、そこはもっと濃い匂いが立ち込めてる空間で、おじいちゃんに

「まみだよ、きたよ」と声をかけても、虚ろな目を少しだけ開いたまま反応してくれません。

おじいちゃんは白内障で目が見えないので

水に白と水色の水性絵具を垂らして少しかき混ぜたような目の色をしています。

それは年々、白目と黒目の境目なくそんな色になってきていて、それとこれが関係あるのかどうかわからないけど、濃くなった水色を見て

 

こんなになってもまだ呼吸をすることを余儀なくされていて可哀想と思いました。

本人に自我があるのかないのかわからないし。

これはおばあちゃんにも言えるのだけれど

自分が何者なのかすら忘れているし

なんで生きてるのかわからないじゃないか

生かされてるの可哀想じゃないか

本人が本当にどう思っているかこんなになってたら聞き出すことも出来ない

もし日本に安楽死があったならよかったのか

これは親族のエゴだやっぱり私はこういう光景を見るのが嫌いだと思って

そうしたら私は一気に涙目になって

ボロボロ涙がこぼれましたが

おじいちゃんはそれでも無反応で

ティッシュを2枚だけ取って

またね、とだけ言って部屋を出ました。

 

 

私が会いにいかなかった理由は、彼らが既にそういう状況で死んでいるのと変わらないから、と思っていたけれど、

それに加えて、物理的に変わってしまった姿を見るのが単純にきついから逃げたい。

が加わるなと自覚しました。

 

階段を2回降りておばあちゃんの部屋に行きます。おばあちゃんは口調や見た目は意外と何も変わってないから、それこそきついです。

 

アニメとかでよく、自分の親しい人が見た目そのまま中身が悪く変わってしまって

殺したくないけど殺さなければならない、みたいなシーンを思い浮かべてください。

 

「あら〜、随分と綺麗なお嬢さんだこと、どこの子?」

まあ覚悟はしてたけど、ジャブくらいのもんだけど。

「宮下真実です」

「真実ちゃん?いらっしゃい、どうぞお座りあそばせ」

あそばせって……そんな言葉づかいするか(笑)

 

「あなたはどこからきたの?」

「東京」

「今日来たの?どこかにとまったの?」

「あなたの息子の家に泊まったよ、娘だから」

「私に息子がいるの?」

「いるよ、3人。娘も1人。その次男の娘」

「そうなのね、それで、あなたどこから?」

「東京」

「そうなのね、それで今から帰るの?」

「うん、その前に少し会いに来たの」

「そうなのね、あなたの名前は?」

「真実です」

 

数年前より明らかに進行している認知症

会話を通して伝わってくるのがしんどい

↑の会話の娘である私のおばさんは四人兄弟の末っ子でとても可愛がられた恩から

私にまで毎週おばあちゃんに会いに来るように強要して、更には

 

「私はあれだけ面倒見てる。あなたは世話になったのになにもしていない。会いに行かないでおばあちゃんに忘れられても知らないよ。」

 

と、当時高校生の私にまでマウントをとる始末の人だった。

でも、そんなマメに会いに来ているであろう叔母さんですら忘れられているのだから

私が会いに行っていたところで何も変わらなかっただろう。愚かな女。

そんなことを思いながら

同じような会話を何度か繰り返したあとに

 

「そうねあなたにお小遣いでもあげたいのだけど、私今お金持ってなくて、ごめんなさいね」

と。

 

でもこのやりとりだって何度も既にしているのです、それこそ何年も。

 

その度に何度も私は

「ありがとう、気持ちだけで」

と返して。

 

「あなたの名前も忘れてしまったけど、なにちゃんかしら?」

とまた聞いてくる。

私はみくにんとのプリクラしか持ち合わせがなかったので、従兄弟(叔母さんの子供)の写真の隣に自分を貼って

小さく叔母さんにマウントを取り返したつもりになりました。

 

おばあちゃんは

「これを毎日眺めてあなたを忘れないようにするわね」

と優しく言ってくれました。

きっとその発言すら5分後に忘れるだろうけど。

 

彼女にとっては急に会いに来た知らない年頃の女であろう私にも

最後には「またきてね」と優しく送り出してくれて、そういったところだけは変わらないのだなど、少し泣きました。

 

でも私もまたきっと、東京の空気を吸っていれば今の苦しい気持ちも忘れるだろうし

どうにでもなってしまうのでしょうけど

 

形に残ってるものだけ、辿って思い出して生きようと思いました。

 

どんより。

f:id:dondayo:20181226223803j:image

f:id:dondayo:20181226223915j:image

 

 

 

 

眠れない夜にキミを想って勉強したんだ!

「こんにちは」は宇宙語だと「ペフレモン」

 

♩爆弾ジョニー/キミハキミドリ

 

こんにちはこんばんは。

電車の暖房が効いていないのか足元から氷になってゆきます。

どんです。

 

 

電車の中が死ぬほど暇で

年末の振り返りブログを書こうと思ったのですが家に手帳を忘れてしまって振り返ることもできなくなってしまって

ひたすらに、ポツリ、ポツリと灯りの灯っているさびれた景色を眺めています。

 

私の中学生の頃まで住んでいたところは

娯楽が本当になにもなくて

強いて言うなら

近所のバッティングセンターだったり

ローカルなスーパーの中にある書店の立ち読みであったり。

チェーンの飲食店も、自転車を30分漕いだところにある小さなマック程度のもの。

 

夜になって、大きな道路から一本奥に入るとほんの数メートル先も見えないような

暗い道がたくさんあって

余談ですが、塾に行く途中の道で私は

その道すがらにある田んぼに何故かいた猪に追いかけられて命の危険を感じたことがあります

 

誰もみていなかったのでそれを話しても

誰も本当だとは信じてくれませんでしたが

 

あんな小さい田舎で、どうやって生きてきたのか、今でもわからないし

大きくなってできることが増えて

それでもまだあの田舎に住んでいる人たちは

娯楽のない、狭い、あの土地でどうやって息をしているのか

東京の空気を吸いすぎたせいか

想像力がなくなって

なにもわからないな、と思うようになりました

 

そんな田舎に、今帰ろうとしているわけですが

あの土地にいる人たちは私のことを

「まみちゃん」と呼ぶだろうし

 

東京の電車よりもダサい色合いの座席に座っていると、私自身、電車が目的地に着く速度と同じくらいの速さで

どんちゃん」から「まみちゃん」

に乖離しているような気がするのです。

 

頭がぼーっとするくらいに暖房の効いて暖かい東京の電車が恋しくて

多分私は東京の何もまだ知らないのに知った気になっていて、その影響で地元コンプレックスが激しくなって、誰かにどんちゃんと呼ばれたくなっています。今。

 

というか昔の私が嫌いなのです。

しまむらで服を買ってそれがこの街で一番オシャレだと思っていた時期があること

好きな男の子と国語の先生のエロい小説を書いていたこと

唯一あるコンビニのローソンでパスタを買ってそれを店の前で食べるのがオツだと思っていたこと。

塾の帰り道、ヤンキーに絡まれて中学のジャージを渡して泣きながら帰ったこと

最後はどうでもいいな。

 

この冷たい空気が、寂しい灯りが、手動のドアが、なにもかもが私を田舎のまみちゃんに戻す。ちょっぴり苦しいです。

 

今回はパスポート申請に必要な書類を集めるための帰省なのですが

ここまできたらおばあちゃんとおじいちゃんに顔くらい見せておいた方がいいのか

とか、怖いもの見たさで思ってしまうのです。

 

会いに行こうかな、どうしようかな、

ていうかクリスマスだ。

ケーキが食べたい。

地元で知り合いに会いたくない

久し振りに近所のおばさんとかと会ってしまったらどんな言葉で話してどんな顔をしたらいいなかわからない。

地元でしかイキれないDQNみたいなのが大声で騒ぎながら乗ってきて殺してやりたい。

群れなきゃ何もできなさそう。

若いね。

お腹減った。

寒い。

 

 

自分の感情を何も考えずに

暇つぶしのために書いたブログでした。

もうすぐ駅に着く。

妹が迎えにきてる。

少しづつ街の灯りが増えてきた。

メリークリスマス。

 

どんより。

 

 

 

あたしなんて君が幸せそうにしてる全部を

愛せはしないよ

アカシック/憂い切る身

 

こんにちはこんばんは。

最近同じ服しか着ていないことに気づきました。どんです。

 

今日くによし組を観に行って

とてもたのしくて、面会苦手芸人ながら汗をかきつつ知り合いの役者さんと少し言葉を交わして会場を後にして

 

そこで先日受けたオーディションで一緒だった方に会いまして、ご飯でもいきますかという流れになってラーメンを食べました。

 

結論から言うと私はそのオーディション落ちてます。

 

 

海老のラーメンを食べようとなったのにそこのお店は豚骨魚介のお店で

食べログが狂ったのかと思ったけどラーメンは好きなのでそのお店で食べました。

 

どうでしたかと聞きました。

受かりましたと言われて、私はすぐに顔に出てしまったようで少し気を遣われました。

 

自分に軽く失望してしまって

私、性格が悪いなあと。

「落ちちゃいました」

そうに言われるのを多分3ミリくらいは期待していた私がいました。

そうやって安心したかったんだと思います

自分だけじゃない、同じ立場の人がこんなにも身近にいて、傷を舐めあえる。

そうに思っていた自分がいることに気づいて情けなくて、ラーメン美味しいけど、悔しいと恥ずかしいとごちゃごちゃして少しだけ味わからなくて。

 

人に厳しくしたら自分にも同じくらい厳しくしなくてはいけないのに

口をついて出てくる言葉はどれも

「いや〜絶対見にいきます!悔しい!」

とか

「ほんとに出たかったんですよ!落ちた人がこう、いて、受かったあなたも、こう、いて、受かった人は落ちた人を背負わなきゃいけないんですよ!」

とか

どこを切り取ってもみっともない。

そーゆーのって(受かった人は落ちた以下略)

受かった人が言う言葉だのに

 

悔しさにかまけて、10以上も上の先輩に御託を並べてる私が恥ずかしくなっちゃって

 

その恥ずかしさをこうして文字に起こして

消化させてしまいたいと言う気持ちすらあって

そんなことを考えていたら気持ちはどんどん嫌な方向に早くなって、もう走り出したい気持ちとは裏腹に人混みはもっとゆっくり動くしクリスマスソングは大音量でどこにいっても鳴っているし

 

その先輩のお名前ど忘れしちゃったし、今

 

イラっとした様子も見せないで、いい人だったな。

はーーあ、観に行こうっと。

 

私も人にぎゃーぎゃー言ったぶん

自分が受かってるオーディションに対してはもっとプレッシャーかけよっと!!!

 

と、千文字に渡って、恥を晒しました。

 

今日は少し、泣きます。

 

どんより。

舵をとれ希望を胸に

進めみんなを助けながら 優しさと勇気忘れず

アランメンケン/コンパス・オブ・ユア・ハート

 

 

こんにちはこんばんは

最近部屋の汚さに拍車がかかっております。

どんです。

 

なにから書き始めたらいいのかわからないけれど

今年人前に出ることはすべて終了しました。

ありがとうございました。

 

手を前に組んでるとコンビの芸人さんみたい。

f:id:dondayo:20181220095121j:image

 

asif〜さんの千一夜の物語。この作品が今年の締めくくりになって

幸せだったなと思っています。

 

個人的な今年一年の集大成としても。

 

とかく2018年は、ニコイチというかペアの役が多かった。

ヨバリとミチアケから始まり

f:id:dondayo:20181220095503j:image

 


f:id:dondayo:20181220095458j:image

森羅と万象

 


f:id:dondayo:20181220095455j:image

世来と忍

 

f:id:dondayo:20181220100254j:image

そして今回のアリとホッコ

(こうかんこした)

 

台本を初めて読んで

「ラジャー」

「了解」

 

「見張りよーし」

「見張りよーし」

 

「ホッコちゃんと見てた!でも捕まった!」

「アリも見てた!でも捕まった!」

 

序盤で登場するここら辺のセリフを見たときに

絶対に今年の集大成にしようと決めていました。

 

こんなにたくさんニコイチの役をもらってきて

すごく話し合ったりとかプラン考えたりとか

本来しなくてはいけないことがたくさんあるのに

それができないほどに噛み合わなかったなとか

ここは怠ってしまったなとか

もっとなにかできたんじゃないか

愛されるためにこういう努力を…とか

そういう後悔もありつつの一年だったので

インキャの根暗のペーペーなりに、その反省を活かすように動こうと。

 

ホッコ役の優さんは、初めこそ

「ザ・若手俳優」みたいなノリの人だなあ

(悪口言ってません)(Twitterの使い方とか)

(稽古での気のつかい方とか)(尊敬してる)(ほんとにね)

と思っていたけれど、こちらが思っている以上に役のことについて

話し合ってくれたり、特に殺陣を見てくれたり。

不器用な私に最後まで厳しくも優しく付き合ってくれたなと感謝してます

言わされてるとかじゃないですからね。

彼だったから活きた場面がとても多かったなと思います。

最終的に板下では私にあたりきつめで面倒見てくれるお兄ちゃんになっていました。

そうやってしっかりしているのを装っている分

頑張りがから回ってミスったときには盛大に笑わせてもらいましたが。

そのあと絶対にチョークスリーパーをかけてきましたが。

そういうところ含め、良くも悪くも本当の兄妹みたいだなと思ってますよ私はね。

 

 

そんな感じで(どんな感じで)

個人的に二人のチームワークは取れていた方なのでは・・・と

勝手に思ってます。

解散公演という大きな節目に関わらせてもらって

その作品を素敵なものにする1ピースになれていたなら幸いです。

as if〜さんの歴史のほんの一部しか知らない私ですが

10年同じことを続ける。そのことの重さは計れないし

劇団員さんの涙を見ていたら、とても尊いことだなと思いました。

 

劇団が解散しても、当たり前のように各々の人生は続いていくけれど

その道中でまた交わって、離れて、繰り返していきますように。

と、超新参ながら想いを馳せました。はい・・・。

居場所があるっていいね。

劇団員さんたちの集合写真を見ていたら、まるで本当に家族みたいに見えてきて

ああ、ここは集団as if〜という藤丸家だったんだなあと。

私もいつか、どこかの家で犬なり猫なりになってみたいものです。

来年は、そういう居場所がみつかりますように。

 

また去年同様、年内に一本くらい振り返りブログを書きます。

 

どんより。

めちゃくちゃな毎日を紡いでゆくのだ

今日も、明日も

♩︎Go Shymphony!   bonobos

 

こんにちはこんばんは。

最近眠り方を忘れてしまって

昼間になると唐突に思い出して身体が寝はじめます。

どんです。

 

今回は名前とかについてのブログ

「まみ……まみっていうのかい。贅沢な名だね、今日からお前はどんだ!いいかい、どんだよ!」

 

私が人生で一番聞かれているであろうことベスト3

 

3位「左利きなんだ?」

いやほんと、そのあとに話題が膨らむでもなく

「そうなんだ」とか「私の妹が左利きでね」とかいやなんで聞いた・・・

みたいになること請け合いな質問。

お年を召した方とかになると人によっては説教につながる場合もあり。

(数年前、上野でご飯を食べていたら唐突に隣のご老人が左利きであることにキレて以来上野には行っていません)

 

2位「なにカップ?」

女の子に関しては別にいいけど、そんなに親しくない人から聞かれたら、なんていうか、もぎるぞ。

 

1位「なんでどんって名前なの?」

これに関しては面白い理由でもオチのある話でもないので

人様に話すほどのものでもないし

沈黙を通すことにしました。

それでもしつこく聞いてくる人は

嫌いカテゴリーにぶちこまれます。

この名前が大好きで嫌いな理由の

嫌いな理由がこの質問のせい。

説明できないならこの名前やめろと言われた経験アリ。

 

というわけで(どういうわけで)

名前を誕生日付で変えた、というか本名に戻しました。

圧倒的に「どん」呼びが多いので

特にそんなに関心も持たれないだろうと

そんなテンションで投稿したツイートが

意外に伸びてびっくらこきました。

字画とか、読まれないとか、本人だけが気にしているものですから

みんなのなかでは名前が変わろうと

呼び方は変わらないので

そうなんやで終わると思っていたんですよね。

 

まあ、どんはどんです。

実に中学生の頃から。

そしてきっとこれからもどんでいたいし

ドンキホーテにはいったとき

「どん」と名の付くお店(結構あるよね)にはいったとき

ワンピースを読んだ時

私のことが一瞬頭をよぎったらいいと思います

サブリミナルどん。

サブリミナルサブウェイではえびアボカドのセット頼んじゃうどん

 

深夜も深夜なのでおかしくなってまいりました。

 

月の終わりと誕生日が同じっていいよね

何か変えるのに持ってこいっていうか

マザーありがとう。

 

ちなみに私が生まれた時間は20:15なんですって

超どうでもいい

超どうでもいい数字ほど、不意に頭に入ってきたら

なぜかずっと覚えちゃってたりするよね

近所の犬の誕生日とか

 

というわけで(頻出)

22歳になりました。

うまい具合に唐突に名前も話題も変えていくよ。

 

お誕生日をお祝いしてくださった皆さん

本当に本当にありがとうございました。

 

誕生日ちやほやしてよおおおおおん

ねええええええん

と、しつこいくらいにインスタのストーリーをあげたり

なんだりしていたしつこいアピールのおかげでしょうか

いや、そんなことはないでしょう。

 

f:id:dondayo:20181205054551j:image

(門田さんからもらったケーキみんなで食べた美味しかった)

 

みんなからたくさんもらった愛で、帰りは爆買い中国人みたいな感じの

素敵なテイストで帰宅しました。

f:id:dondayo:20181205054618j:image

f:id:dondayo:20181205054704j:image

f:id:dondayo:20181205054721j:image

f:id:dondayo:20181205054740j:image

 

重い荷物がこんなに嬉しいことって、人生でこういう時くらいよ。

大事に、重さすら愛しく噛みしめました。

f:id:dondayo:20181205053850j:image

(スーパーラブリー舞監さんみずさわさんが撮ってくれたお写真)

 

マチネに私のmotherがきて

何人かのお客さんとはお話したんだけど

私は正直めちゃくちゃに誇らしかったです。

現在私は大学四年生で、周りは就活だなんだと、もういろんなことが

済んでいる時期でしょう。

私のまっまは狭い田舎に住んでいて

近所の人たちから「まみちゃんはどうなの?」

的なことをきっと聞かれていることでしょう。

世間体ハチャメチャ気にしちゃうマンのまんまは

そんな質問された日にはきっと少しだけ苦しいのでは

ないかと、私の想像の範囲ですが思ってしまうのです。

グンマー出たことないおばさんたちからしたら舞台役者なんて

きっと得体もしれない生き物なのかもしれないし

それよりも「医者」とか「銀行員」とか

それっっぽい漢字の単語のほうが耳障りはいいかな、なんて思うんです。

だからそういう想像をしていくと、私の好きなことをしていることが

まあまにとっては心苦しいんじゃないかとか、思っていたんですけど

この一年まざあは、私に贈られた大きなお花や、

応援してくれている友達や、どんヲッタク(仮名)の皆様や、

一緒にお芝居を作っている素敵な人たちのことをみて

すこし安心したのではと、勝手に思っています。

どれもこれも、腹を割って話すことができていないので

「と思う」の域はでないのですが。

あなたの娘はこんなに立派に育ちましたという証明を

私じゃない周りのみんながしてくれているから

あーーーーーーーよかったなあと嬉しいなあと思います、素直に。

 

 

 

まとまらないな、22さいは

にゃんにゃんなので、猫になれるように修行をつみますね

 

ではまた

f:id:dondayo:20181205054532j:image

 

どんより