活丼

丼の活動

心が夢中だったこと誰も覚えてないの

どうして

♩挫・人間/ハッピーバースデー

 

こんにちはこんばんは

永遠に秋が続くと思っていたらいきなり肌寒いです。

どんです。

 

もうそろそろ23歳が終わろうとしています。

ここ数年は有難いことに人前に出る日に誕生日を迎えることができていたから、それに向けての実感も伴っていたものの

今年は…今年なので。

自分でも色々考えて調べて見たりしたものの、あまりにも一人で何かをするハードルが去年より高くなってしまっていて、万物に絶対がないように、あらゆる根拠を提示できないまま「万全」なんて言葉を使えないなと何度も思い留まり。

 

ま、なにも出来ないなという結論に至っています。ちょいちょい、今年は〜的なことを仰ってくださる方々がいるのでこちらにて回答にかえさせていただきます。

 

たまに、周りの人やヲタクの方に欲しいものを聞かれた時、あーそうだったとやっと実感するくらい。

少し人と関わりが薄くなった途端に、私の中の私の存在感はぼんやりとしてしまうのだなぁと例年の有り難さを噛み締めています。

 

たまにDMや、LINE@にてほしい物リストを公開して欲しいというご要望が何度か過去にありましたが、ほしい物リストはあるのですが、まあ…公開していません。ごめんなさい。

劇場でいただく差し入れなどに関してはリアルタイムというか、芝居で返します!と快く受け取れるのですが、そんなことも容易に言えない世の中かもしれないので、お気持ちだけ頂戴いたします。嬉しいです。

そしてご要望へのお返事も、個人的なものになってしまうのでこちらにて失礼致します。

もしマジに私になにか送りたい!と思ってくださった奇特な方は劇団の事務所の方にお願い致します。(生物とか食べ物以外なら大丈夫だそうです)

 

23年も生きている自覚はなく、自分でも、えっちらおっちら生きてるな〜という感が否めません。

 

順当に、丁寧に目標を立てて、それに沿った生活をして…なんて崇高な人間にはなれず…日々、いや、物心着いた時からずっと、気がつくと財布やスマホを無くし、スケジュールをダブルブッキングさせまくり、余裕を持って行動していたはずがギリギリになるような人生で。

恥の多い生涯でした。という言葉は、実は私のためにあるのではないかと年に何度も思う人生で。

 

それでもなんで今息をしてるのか、多分、人前に出る機会がめっきり減っても、心のどこかで私を生かしておいてくれる人達がいるからなのかもしれないな、なんて思ったりして。

ああ、綺麗事みたいだ、でも本当なのに。

自分を綺麗な感じに見せようとしてんのか?と心の中にいる私が喚いて、綺麗事を相殺するために綺麗じゃないことも書いておかなきゃと思ってしまう。

ずっと会っていなかったヲタクの方から久しぶりにリプが来て、その時、気にかけてくれていた時期のぼんやりとした記憶だけで、顔とか、声とか、その人の欠片を思い出せない自分がいて悲しかった。

きっと私のことを心の中で生かしておいてくれているだろうなという人達のことは容易に思い出せる、その人の中で私は一旦死んだから思い出せないのか、いや私のせいか?ずっと覚えていない私の。そもそもその基準とは?色々考えていたら寝ていた。起きたらそんなのどうでもよくなっていた。

これで相殺できただろうか。

 

やっぱり私はいつまでたっても支離滅裂な文章だ。でもアスナさんがこの間、等身大の身のある(身の詰まった…だっけな)文章だと思うよと言ってくれたからいいか。

ほらまた救われてる。

多分、24年目もまたやさしい色んな人に生かされながら息をするのだろうな、でもそれでいいか。

自分が他者の中で生かされようと忘れられようと、苦しくなく息ができたら。

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貴方に掛かった悪い魔法をといてあげる

私のすがたが変わり果ててしまっても

♩女優/吉澤嘉代子

こんにちはこんばんは

最近スプラ再熱してます

どんです。

 

成人式ぶりに群馬に帰った、実家へ寄った時間は僅か2時間程度だと思う。

母が取ってくれた昔から馴染みのある近所の寿司屋の握りを10年ぶりくらいに食べながら、あの頃は美味しいと思って食べていた寿司がまずく感じるようになっていたらどうしよう、なんて思ったけれど、前と変わらず同じ味、同じ感じ方でほっとした。

 

母と父、いや、特に父は昔からよくビデオを回す人で、ハンディカムが常に隣にいるような環境で育った。また、私もことある事にカメラを回す癖がついた。

実家なんて嫌いだ、地元なんて嫌いだなんて言いながらも、実家に帰ると必ず幼かった頃の自分を見返してしまう。

 

もう記憶にないくらいの小さな私が画面の中でぽてぽてと動き回っている。

時間をすっ飛ばして、小学生くらいまで飛ばすと、今で言う「YouTuber」のもどきのようなことや、演劇の真似事をしているのを誰か(恐らく友達)に収めてもらっている映像が出てくる。

 

中学の頃の作文も出てきた。(母が出てきた)

中学二年生の頃の私はどうやら声優になりたかったようだ。

 

「声優になるためにたくさん辛いこともあると思います。でも、それは辛いことだとは思いません。なぜなら、そういった出来事も全部夢への通過点であり、カウントダウンだと思えば辛いことだとは思えないからです。」

 

こんな一節を見つけて、なんてキラキラしているんだと頭を抱えた。

俳優をしていて辛かった出来事なんて、ギャラの一部を踏み倒されそうになったり、台詞もまだないのに稽古にずっと参加させられたり、それに対して嫌だなと思って休んだら先輩の演技を見るのも勉強だから見ているだけにも意味はあると沢山セリフがある人に言われたり。

 

それに対して、通過点だ!カウントダウン!なんて思えたことは一切なかったし、現状、中2の私の想定にはない辛いことしか起こっていないような気がして(多分、レッスンの先生が厳しい!とかそういうレベルを想像していたと予想)まだ無敵だったんだなぁ。としみじみした。

 

俳優としての仕事も暫くなくて、舞台に立たなくなってからそろそろ半年が経過しようとしている中で、半年の間で色んなことを考えた。

例えば俳優以外になりたいもの、やりたいこと、まあ特になかったけど。

そんな文章だったり映像だったりを眺めていると、やっぱり俳優は潜在的にやりたかったことなのではないかと思えてきた。

 

小さい頃の私が想像していた形ではないことは確かだけれど、今の私は芝居してる時楽しいぞと、それで食えてるわけじゃないけど、楽しいってことは、あなたが画面の中でやってたことの延長ってこういう感じなのかなあって。

田舎特有の雑草の匂いに塗れながら思ったり思わなかったりした。

 

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どんより

 

 

どうでもよくないことには正直でいたいよ

ねぇ交換しよう

♩交感ノート/アイドルネッサンス

 

こんにちはこんばんは

5月は終わりました。

どんです。

 

5月の最終日のブログを書かないと、1ヶ月ブログ書いたことにならないし、しかもTSUTAYAルールもとっくに無視しちゃってるけど。

こんなにしてるのに6月が来てしまいました。

 

当初のこの一ヶ月ブログを書き続けるチャレンジの目的、4月あまりにもなにもしていなかったから、なにかしよう!と思い立ったことがきっかけでした。

 

それでは5月は4月よりなにかしたのか。

結論、したような感覚には一切なりませんでした。

ブログがバズったわけではなし、それどころか過去の下書きを何度も引きずり出してブログを書いた風な日が何日もあったし、一つの記事1000文字という自分ルールをせこいやり方で守って、一個の記事で収めたらいいものを三つくらいに分けて三日分としたりと、もうひどいもんでしたね自分としては。

達成感があるのか、そんなことをしていたので当然、なし!

ブログを楽しんでくれている方が少なからずいたことが救いですね。

駄文ばかりで申し訳なかった。

 

少し古い友人などからひっそりと、ブログ読んでるよ、と何人かから声をかけてもらった。

もうね!そういう事は大声で言ってくださいよ!という気持ちです。

 

なんか、あのーTwitterとかでよくある、〇〇(漫画家、お笑い芸人、なんでもいいけど何かしらのクリエイティブな職)辞めます、という宣言をした時に颯爽と現れる

「えーー!!!?好きだったのに…残念…」

とだけいう人みたいな…な…な…いや遅いよ!!!??みたいな.......皆まで言ってしまった.......た.......たにし.......。しめじ。

シャイボーイ&ガールたちめ!と今月は何度か思いました。あーんもう!

 

私のブログを読んでくれていて、また自分も毎日のようにブログを書いている友人がいて、その人は私なんかよりも饒舌な文章で、しかもたくさん書いていて、しかも内容としては大したこと書いてないんだけど(失礼)書き方や心情の描写が彼にしかできないものでいやーー素敵だなと心底思う。しかも就活までしているらしい。しかも毎日どのくらいお酒を飲んだのか記録しているらしい。偉いです。こんなに褒めたので、これを読んでいたら私のことを自分のブログでも褒めてください(媚)

 

それはさておき、やっぱり私は文章が下手くそだし、どーせ書くんならどこかの誰かに刺さりたいだなんておこがましくも思っていたけど、思った以上に、人の心を動かしたりするものは書けないなと思いました。今は。

もう少しいろんなものを読みます。

それを真似て、真似なくても自分のものと混ぜられるようになります。畜生めが。

 

また1ヶ月が終わった、始まった、バナナブレッドを焼いた、とっても美味しかった。

自分の作ったものを人に振る舞いたいと思う機会がほぼほぼないけど、こればかりはみんなに食べてもらいたいと思うくらいには自信作だった。もうなくなった。

 

次にいつブログを書くかなんてまたわからなくなってしまったけど、またなんか扇状的な気持ちになったらガーっと書き殴っている自分は想像できます。

その時には痛いなと思いながら、少し長いトイレのお供にでもしてもらえたら幸せです。

一旦さよなら。

 

どんより

何万回言われてもまだ不安だわ あ・い・し・て・る?

カートに溢れてしまうほど

 

♩fancy baby doll/田村ゆかり

 

こんにちはこんばんは

久々にがっつりと外に出たら目が充血しました、人間すぐ弱くなるんだなぁ。

どんです。

 

18の頃にすごく推していた女の子がいた。

新人として店で働いていて、私はその子目当てというより他のイベント目当てで通っていた。

 

イベントのメインである推しはもう、人気者すぎてコミュ力がないと話せない(向こうは気を遣ってフロアにいる人たちに一人一言くらいは声を掛けてくれるけどそこから会話を広げられるのは古参か、超頻繁にリプしてると思われるヲタクか、単純にコミュ力のあるヲタクだった)

話しかけてくれても、緊張と興奮からあ…あ…と声にならない声を出しながら精一杯の笑顔を作るしかできない。どこからどうみても最弱ヲタクである。

 

メインフロアの2階からすごすご降りて

1階のライブをするフロアに降りてきた時、受付にその子は立っていた。

どうやって話しかけたのかはもう覚えていないけど、推しじゃないとなると途端に饒舌に話せた自分がいた。

 

その子は、新人で、上京してきたばかりで、これからうまくやっていけるのかと不安がっていることを話してくれた。

私も私で群馬から出てきたばかりだったので同じ境遇だということ、顔が可愛いから大丈夫、なんて根拠のない励ましをした。

相当不安だったのか、その子はそんな適当な励ましにもありがとうと返してハラハラと泣き出してしまった。すごく驚いた。

 

そんな出来事があってから、その店に行く理由が段々とその子になっていった。

新人でたくさん話せたからもあるかもしれないけど、単純にその子とお話ししている時間は幸せだった。くじで出たその子のソロチェキを大事にもちあるいた。

 

ライブデビューも最前で見届けて、それからその子推しの仲間もできた、汚い声でティギェァフィギェァとmixを打つのがなにより楽しかった。世界で一番可愛いよと躊躇いもなく叫んだ。熱くなりすぎて喧嘩した(理由覚えてなし)(推し被りと喧嘩しがち)

 

でも、好きになりすぎるとまた悪い癖が出る。話せなくなっていくのだ。

その子に会いにいっても前のように話せなくなって緊張している自分がいた。

同時期に、段々と別のアイドルにハマっている自分がいた。

それからその子のところにはあまり行かなくなってしまい、数年前の生誕でその時だけぱっと顔を出して、久しぶり〜!だなんて言われて苦笑いをする、自分があまりなりたくないタイプのヲタクになってしまった。(通わなくなったのに卒業、とかそういう節目にだけ顔を出してまだ未練あります的なね…)

 

気づいたらその子は店から卒業していて、名前も変わっていて、別のアイドルとして活動するようになっていた。

思えば私は一度として「推し切った」という経験がない。じゃあ例えばその子が10年勤務していたとしても同じくらいの熱量を10年保てるのかと言えば別の話だが、せめて数年は、好きになったのなら推したいのにその熱がずっと続くことがほぼなくて悲しい。

 

同じアイドルを推していた仲間たちのごく一部は今でも同じ子を応援し続けている。

同じ熱量を保てることも素敵なことだが、何年も同じようにその子が活動をしてくれていることも今のアイドル界に於いては非常に貴重なことだと思う。

 

卒業して違う活動を始める子、もう表には出てこない子、違う名前になって輪廻転生する子、いろいろいるけれど、その子の境遇が多少変化してもついていくヲタクほど尊いものはないなと本当に思う。し、逆に自分のヲタクにも同じように尊いなと思っている。

 

私は結構少しの変化に敏感で、新しい魅力にも敏感で、同じ愛を保ち続けるのが難しい人間なのだろう。

グループの体制が変わったりメンバーが抜けまくったり、運営がクソだったり、そういうことで簡単に冷めてしまう。

文句を言いながらも通い続けられる人種にはなれないのだ。なりたかった。

 

今日、久々にその子のTwitterが目に止まって眺めていた。

私のフォロワーの半分くらいで、あの頃と変わらない独特な世界観の可愛らしいお部屋で、甘ったるい歌声も何もかもそのまんまだった。

 

自撮りには十数いいねしかついていなかった。なんだよなんだよって、あの頃、すごく神格化していたあの子が途端にチープな存在に思えてしまって、悲しかった。

リプ欄にいる、変わらず応援している様子の昔の知り合いもとても悲しかった。

 

その子は何も変わってないのに、私だけがひねくれて、ハスっているようで。

好きになった人に対して、ずっと同じような気持ちで好きでいたいのになぁ。

ずっと、世界一可愛いよって、本気で思っていたいのになぁ。

 

どんより

焦りは禁物無理しちゃ沈没

負荷のかけ方を調整!

 

♩お願いマッスル/紗倉ひびき&街雄鳴造

 

こんにちはこんばんは

シャンプーを変えたら頭皮のかゆみが収まりました。

どんです。

 

最近、リングフィットをどんどんやらなくなって、YouTubeで動画を見て筋トレするばかりになっています。

べつにリングフィットがダメとかそういうことを言いたいんじゃなくて、なんでYouTubeの方に流れてんだろうということをぼーっと考えた結果、リングフィットには共感性がないからという結論になりました。

 

YouTubeで私がいつも見る動画たちは、大体、最初から最後まで一緒にトレーニングをしてくれて、自分と同じように「きつい〜」とか「ハァハァ(死)」とか言ったりしてるのに対し、リングフィットはいつまでも主人公が疲れない、疲れてるのかもしれないけど汗をダラダラと流しているだけで疲れましたよ…みたいな顔は見せない、正確に言うとゲームの画面的に見えない仕様になっている。

 

リングフィットの妖精(応援してくれる)がずっと同じテンションで「いいよ!」「最高だよ!」的なことを言ってくる、あと少しで倒せる!かも!というときに限って体力が切れたりしてはじめからやり直し(強いて言うならこれが「疲れている」の演出なのかもしれない)自分が疲れているのに対して画面の中の人たちは完全無欠の人たちに思えて、リングフィットをして疲れること自体がおかしいもののように思えてくる。

 

自分と画面の中がちぐはぐで、なんだか変な気持ちになってきて、本当に遊びでやる分にはいいのかもしれないけれど、本気でこの10分は追い込む!とかそうなってくると、あまり合わないゲームなのかもしれない。

あと運動強度をあげるとめっちゃしんどい、震える。のに画面の中の人たちは以下略。

 

筋トレ関係でいうと、最近またホエイプロテインが飲めるようになってきました。

一時期はソイしか身体が受け付けなくなってしまってしんどかったのですが、数ヶ月ぶりにえいやと飲んでみたら、多少お腹は痛いものの飲めるようになって、今朝ついに腹痛が起きなかった!いえええい!

 

ソイプロテインってすごいのどごしが悪くて、セメント飲んでる感じになるからいやだったからめちゃくちゃ嬉しい。

あとそんな思いをして飲んだ割にはいっぱいに含まれているタンパク質量がすごく低いとおもう。体感的には40g飲んでるような気持ちになるのに、実際には20くらい。

 

みなさんの、お気に入りプロテイン、教えてください。

 

どんより

 

 

 

指先が触れ合うだけで空も飛べるの

三千世界その起源はそうあなたで

 

♩イマジネーション/ももいろクローバーZ

 

こんにちはこんばんは

5月すらもう終わることに驚いています。

どんです。

 

金曜日の印象が、時代によって全く違うことに気が付きました。

 

小学生の頃は金曜日といえばいやっほ〜!早起きしなくてもすむぜ〜!とテンションが上がっていたし、中、高生の頃は明日も明後日も部活かぁ〜…とげんなりしていたのを思い出します。

大学1年の時の金曜日は、金曜日!やった!って感じだったけど2年は大学に行かないでバイトばかりするようになったのであまり感覚がないというか、土日が特に忙しいバイトだったから寧ろ金曜日は少し憂鬱だったかも知れません。

 

3.4.5年の時にはもう演劇を始めていたので、曜日感覚がどんどんなくなっていって、稽古していると金曜日とか土曜日とか関係なくなってふわっと日々が過ぎていきました。

 

今も曜日を感じる昨日はオフになっていて、前は月曜から夜更かしとテラハだ!水曜日のダウンタウンだ!くらいで判断できたけど、こういう状況になって前の放送を編集し直したものが多く放送されるようになってからはテレビをあまり見なくなって、毎日、すごい数のバックナンバーがあるあたしンちを見てます。

 

放送されている速度より早く見てるので、あたしンちの一年があっという間に過ぎていって、ぼーっと数時間見ていると季節が移ろっていっててびっくりしたり。

偽の季節の移ろいしか、今は感じられてません。

 

話は変わりますが二週間東京を離れるかも知れません。

まざがもう5年くらい、オートマの免許を取りなさいとうるさかったのですが、ついにその要望に答える時が来たようです。

 

実は高校を卒業する前に免許をとろうとしていたのですが、テストで赤点の科目がひとつでもあると再テストして合格するまでは自動車学校に通ってはいけないというルールがあり、私は数学でどうしても赤点だったので通うまでに時間がかかって、気づいたらもう東京に引っ越す日になってしまって結局免許は取れないしお金も少し無駄にしてしまいました。

 

大学に入ってからも3ヶ月に1度は

「免許はどうするの?」というラインをしつこく送ってきていて、その度に「バイト(学校)が忙しい」「芝居が忙しい」という理由で逃げてきました。卒業してからも「お金が無い」という理由で逃げようとしましたが、じゃあそのお金は出すと言ってきたので、いよいよ年貢の納め時です。

 

これからも3ヶ月に1回言われ続けて、人生が過ぎていって、いつかまざが死ぬ時、病床(なのか?)で

 

「真実.......免許、どうする.......の(ガクッ)」

 

とか言ってそれがまざと交わした最後の言葉になったらいやだし。

夏休みで高くなる期間の前に入れるところはないかと、ゆるゆると、自動車学校を探しています。

 

どんより

Do you really believe that you can never be sure?

They're leaving bodies in stairwells

 

♩Graves/CHVRCHES

 

こんにちはこんばんは

昼夜逆転していないフリをしています

どんです

 


この数日、今も。ずっと頭を支配している出来事があります。

一番タイムリーな話題で、すごいスピードで、今でも心が追いつけていない話題です。

 


コロナが一気に蔓延して世間が自粛ムードになって、今までの日常が取り上げられてしまった時と同じくらい突然で、ついていけてなくて。

 


私なりにたくさん考えました。

毎日何度もテラハで検索して、いろんな人の匿名はてなダイアリー、ツイート、ブログを見て、できる限りあらゆる方向の意見を読みました。

このことについて触れるのがベストなのかわからないけど、私なりの答えが出たのでかきます。

 

 

 

テラハは毎週楽しみにしていた番組で、ニートの私に月曜日が来たことを感じさせてくれる番組でした。

 


本当に楽しみにしていたから、毎週放送される度にいろんな感想や意見を持ったし、テラハを見ている人とああだこうだと言葉を交わすのも大好きでした。

ただ、そうやって楽しみにしていたり、意見を交わし合うことすら、今回の出来事で罪に思えてならない瞬間が沢山あって、視聴していたこと自体がいけなかったのではないかとすら思い込みました。

視聴していく中で否定的な感想を持つこともありました。勿論、それを本人(メンバー)に対してぶつけるなんて事はしませんでしたが。

 


「台本は一切ございません」をどこまで信じたらよかったのか、誹謗中傷と批判の違いは何か、リークされたとしている情報がどこまで本当なのか、考えたら考えるだけドツボにハマってわからなくなって苦しくて。

きっと毎週視聴していなかったであろう人が花の写真をスクショして、薄っぺらい言葉で「誹謗中傷はダメ」と言い始めてそれが拡散されているのが見ていてしんどかった。問題の本質はそこなのか?問いたくなるようなツイートをたくさん見ました。

 

 

 

「誹謗中傷を受けた女の子が自殺をしたらしい」

という文字(結果)だけを見て意見したり攻撃的な自論を展開する人があまりにも多かったように感じます。

人前に出ることをしている者として、自分は宮下真実という「コンテンツ」の形を保って、どこまで心を削れるだろうか、傷ついても傷つかないフリをしていたらいいのか、ということも、花に重ねて考えました。

 


ほんとにほんとにたくさん考えていたら、ブログもうまくかけなくなってしまって、テラハが打ち切り決定して、言論統制にもなるような法案が花の死を以て動き出していた。一つのことを処理する前に何個も追加の報道があって、もうほんとに頭がごちゃごちゃしてました。

 


そうやってごちゃごちゃしてた中だし、事実、テラハを通じて花はいなくなってしまったし、番組自体打ち切りになってしまったけど、それでも、今でも、全部が全部ダメだなんてことはないと思ってます。所謂男女の恋愛やどろどろな修羅場だけが見せ場ではないし、そういった場面以外で、テラハを語る魅力はたくさんあります。

私はテラハを見ていて、自分のやりたいことへの向き合い方を得ました。それがやらせでもそうでなくても、自身が受けた影響は消えないので関係ないです。

何かだんだん日本語不自由になってきたーー

 

 

 

見ていないのに(多分、見ていないからこそ)ここぞとばかりに頭っから叩いている人が多くて悲しくなったので、いやそれだけじゃないですよを言いたいがために、私のテラハで一番好きな回を紹介しようと思います。

前置きがかなり長くなりましたが、これが私の結論というか、テラハに対しての区切り。それと、今後リアリティ系は見ないかなと思いました。(もともとテラハしか見てなかったけど)

 

 

 

Netflix TERRACE HOUSETokyo 2019-2020

part3/ep25

「The Girls Can't Do It」(それが出来ない女の子たち)

 


テラハのここが好き!が詰まっている回です。ただ、私がテラハを見始めたのが26話からという…皮肉!でもキリのいいタイミングだったということで。

 


25話だけいきなり見ても、ここまでのepを見ていないと1話でめちゃくちゃな急展開が続くやんめっちゃ卒業しまくるんやんって思うかもしれませんが、その通りです。

一番好きな回でもあり、見ている中では一番卒業ラッシュな回でしたね。

今回は、25話でスポットが当たる2人について書こうと思います。

 

 

 

西野入流佳(にしのいり るか)さん

アルバイト勤務。当時20歳(うろ覚え)。

テラハにて彼が初めて作った手料理を見て、言葉を失ったのを覚えています。(ep11)

カルボナーラを作ると言って鍋にパスタを放り込み、そこにはさみでブロッコリーを切って入れ、その後に生卵を落としてぐるぐるとかき混ぜて、茹で上がったパスタと一緒にすべてをざるにあげて、味付けはなしでそのまま盛り付けていただくという…ではこのパスタはなんだったのか?二回目ですが「カルボナーラ」です。もこみちもびっくりな自作パスタを、味がないと言いながら頬張っている彼を見て、こういう人もいるんだ…と若干引きました。

 


そんな彼の将来の夢は「スパイダーマン」一見よくわからないけれど、掘り下げていくとマーベル(ヒーロー)になりたい、マーベルシリーズに出るような俳優になりたい。というものでした。

ほかのメンバーが、そのためには英語を習わなくてはね、体を鍛えなくてはね、とアドバイスをして、女優をしているメンバーが自身が通っているアクションのワークショップに連れていく回もありました。

 


ただ、それからも彼は自分の夢はありつつもそれに対してなにか行動を起こすわけでもなくただよく寝てよくわからない料理を作って(日に日に上達してた!)バイトをしていました。

口だけとも思われる彼に対して、メンバーからの当たりは多少きつくなります。

ただ、そこから彼なりには行動を起こして、マーベルカフェ(バーだったかな…)の面接を受け、前述したブロッコリー卵パスタ(カルボナーラ)を麺から手作りしてみんなに振る舞います。カルフィエパスタという美味しいパスタに進化していた.......更に、英語の単語帳を何度も開いて調べた、全文英語のスピーチを全員の前で読み上げて、テラスハウスからの卒業を告げるという、ここで胸が熱くならない人いるのか!?という展開。

テラハに入居してからの流佳の成長は凄まじくて、正直、人間としてどうなんだレベルで生活スタイルがやばかった男の子が、自分なりに夢や自分自身の振る舞いと向かい合って、自分なりに行動して、見守ってくれていた仲間に成長を見せて、というこのプロセスが美しすぎる。

25話が集大成なのですべて集約されているが、そこまでの右往左往する過程も含めて見てもらいたい。

 

 

 

ペッぺ(デュラトジュゼッペ)さん

モデルなどをしながら漫画家を目指すイタリア人。当時26歳

日本の漫画が大好きで、独学で漫画を学んでもうすぐスピリッツで連載が決まっているというすごいドリーマーな男。(ペッぺの書いている漫画「ミンゴ」は現在2巻まで発売中)

ペッぺは。メンバーの中で好きな女の子に対して、ぴしっとスーツを着て、地上〇〇階(とにかく高い)レストランで赤とピンクのバラ(ピンクは始まったばかりの恋、赤は100%

愛してる人に送るという意味)を渡して告白するくらいのキザ優しい男です。

まだ知る時間が欲しいと保留にされて、その間にその子とキスできる雰囲気になっても合意がない限り強引にはいかないガチ優しい男です。相手のことを決して避難しない、ユーモアに溢れた男です。自分の体格に合わないチャリに乗っていて、その姿がどこかおちゃめでおかしい、可愛らしい男です。でも、そんなところよりも(失礼)

もう何も言わんでここを見てくれ、何度か見てくれと思うシーンが25話にあります。

自身の連載がスタートしたスピリッツを早朝にデイリーヤマザキへ買いに行くペッぺ、レジのおばあさんにおはようございますと丁寧に挨拶をして本を手に取り、ペラペラと自分の作品を読んでいる時の.......胸がきゅっとなってしまいそうな、顔!!!!!!夢を叶えた瞬間の人にしかできない顔をしていました。これで胸が熱く以下略。

こればっかりはやらせだなんて言わないでほしい…もしそうだとしたらペッぺは役者の才能しかない、神は何物与えたら気が済むのか、私にも2物くらい分け与えて欲しい。それくらいの、なんとも言えない表情。

 

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(ちなみに、「ペッぺ コンビニ」で検索すると聖地がでてくる。)

ああ、ここが私の役者として到達したい場所だ、とすら思いました。

夢を叶えて、何かしらの雑誌の表紙になって、嬉しくって買い占めようとして、レジのおばあさんにこれあなたが載ってるの?周りに広めておくわねと言われたい。

 

その日のうちに、連載でこれから忙しくなるという理由でペッぺは卒業を発表するわけですが、その前にみんなにデザートのティラミスを用意しています。

そのティラミスにもバラ同様きちんと意味が込められていて、ティラミスは「元気になって」という意味があるらしく、最後までメンバーを大切にしているんだなぁ彼は…とさめざめ泣きました。

 


ここまで書いて思ったけれど、やっぱり私は文章が下手で伝わらないなと思う点もたくさんあるので、ネトフリ登録してる方はぜひこの回だけでも実際に見て欲しいなと思います。

 


扇情的な編集をしたり、スタジオメンバーの意見が炎上を増長させやすい仕組みであったり、本当にいろんな問題があった番組であるという側面も理解した上で、逆に、こういった側面もあるよというのを、一つの考え方として提示したかったんです、テラスハウスの一部を追っていた者として。

誰かと理解し合いたいとか、議論し合いたいもないです。

今は一気に悪くなってしまったかもしれないけれど、そういう印象ばかりでもないんだよって、考えてたことがやっと言語ができるまでになったから書きました。

多分、ココ最近で一番長いブログかもなあ。

前回みたいに3部に分ける手口はもう使わないワン

 

 

 

どんより