どうして
♩挫・人間/ハッピーバースデー
こんにちはこんばんは
永遠に秋が続くと思っていたらいきなり肌寒いです。
どんです。
もうそろそろ23歳が終わろうとしています。
ここ数年は有難いことに人前に出る日に誕生日を迎えることができていたから、それに向けての実感も伴っていたものの
今年は…今年なので。
自分でも色々考えて調べて見たりしたものの、あまりにも一人で何かをするハードルが去年より高くなってしまっていて、万物に絶対がないように、あらゆる根拠を提示できないまま「万全」なんて言葉を使えないなと何度も思い留まり。
ま、なにも出来ないなという結論に至っています。ちょいちょい、今年は〜的なことを仰ってくださる方々がいるのでこちらにて回答にかえさせていただきます。
たまに、周りの人やヲタクの方に欲しいものを聞かれた時、あーそうだったとやっと実感するくらい。
少し人と関わりが薄くなった途端に、私の中の私の存在感はぼんやりとしてしまうのだなぁと例年の有り難さを噛み締めています。
たまにDMや、LINE@にてほしい物リストを公開して欲しいというご要望が何度か過去にありましたが、ほしい物リストはあるのですが、まあ…公開していません。ごめんなさい。
劇場でいただく差し入れなどに関してはリアルタイムというか、芝居で返します!と快く受け取れるのですが、そんなことも容易に言えない世の中かもしれないので、お気持ちだけ頂戴いたします。嬉しいです。
そしてご要望へのお返事も、個人的なものになってしまうのでこちらにて失礼致します。
もしマジに私になにか送りたい!と思ってくださった奇特な方は劇団の事務所の方にお願い致します。(生物とか食べ物以外なら大丈夫だそうです)
23年も生きている自覚はなく、自分でも、えっちらおっちら生きてるな〜という感が否めません。
順当に、丁寧に目標を立てて、それに沿った生活をして…なんて崇高な人間にはなれず…日々、いや、物心着いた時からずっと、気がつくと財布やスマホを無くし、スケジュールをダブルブッキングさせまくり、余裕を持って行動していたはずがギリギリになるような人生で。
恥の多い生涯でした。という言葉は、実は私のためにあるのではないかと年に何度も思う人生で。
それでもなんで今息をしてるのか、多分、人前に出る機会がめっきり減っても、心のどこかで私を生かしておいてくれる人達がいるからなのかもしれないな、なんて思ったりして。
ああ、綺麗事みたいだ、でも本当なのに。
自分を綺麗な感じに見せようとしてんのか?と心の中にいる私が喚いて、綺麗事を相殺するために綺麗じゃないことも書いておかなきゃと思ってしまう。
ずっと会っていなかったヲタクの方から久しぶりにリプが来て、その時、気にかけてくれていた時期のぼんやりとした記憶だけで、顔とか、声とか、その人の欠片を思い出せない自分がいて悲しかった。
きっと私のことを心の中で生かしておいてくれているだろうなという人達のことは容易に思い出せる、その人の中で私は一旦死んだから思い出せないのか、いや私のせいか?ずっと覚えていない私の。そもそもその基準とは?色々考えていたら寝ていた。起きたらそんなのどうでもよくなっていた。
これで相殺できただろうか。
やっぱり私はいつまでたっても支離滅裂な文章だ。でもアスナさんがこの間、等身大の身のある(身の詰まった…だっけな)文章だと思うよと言ってくれたからいいか。
ほらまた救われてる。
多分、24年目もまたやさしい色んな人に生かされながら息をするのだろうな、でもそれでいいか。
自分が他者の中で生かされようと忘れられようと、苦しくなく息ができたら。